何であんなにこだわっていたのだろう。と、過去を振り返って頑張りすぎたり、固執しすぎたりした経験って誰しもあるのではないか。

ある南国でランニングにはまっていたことがあった。大会の数が多いからか、参加費が割と安いからか、順調に大会に出場し、距離とタイムを伸ばし、表彰され、あんなに大嫌いだったランニングが楽しくなっていった。ハーフマラソンに参加するようになり、良いタイムが出るようになった。フルマラソン4時間を切るのが目標だったので、ハーフマラソンで1時間30分代のタイムに満足していた。だが、私は知っていた。

20歳のとき、当時円高でUS$1=90円くらいだったこともあり、大学の仲間6人でホノルルマラソンに行くことになった。大学生協で申し込める企画で、2週間ほどハワイに滞在し、航空券、宿泊費、参加費などを含めてとてつもなく安かったことを覚えている。その魅力と好奇心とノリで、ついついホノルルマラソンに出ることになってしまったのだ。

「ワカサとバカサは紙一重」とはまさにこのこと、スポーツは大好きだがランニングが大嫌いな私は現地でランニンググッズを買い揃え、大会までの数日間“にわかランナー”と化し、一夜漬けのランニングに励んだ。

大会当日、薄暗いアラモアナビーチ公園からダイアモンドヘッド方向を目指した。意外と走れた。苦しいなぁと思いつつ、天気も風景も最高だし、路上の応援も華やかで、異国情緒もあって悪くない。走るの気持ちいいじゃん!くらいに思い、予想に反して結構楽しんでいる自分がいた。ダイアモンドヘッドから見下ろす海の美しさや、全身を通り過ぎていく海風を心地よく感じながら、ダイアモンドヘッドを通過して折り返し地点を過ぎ、数キロ走った後だ。足が重い。呼吸は問題ないのだが、足と脳と気持ちがつながっていない。走りたいのに走れない。往路で美しかったダイアモンドヘッドからの光景が夢だったかごとく、もう景色なんかどうでもいい。この時私は知った。フルマラソンは30㎞からが苦しいことを。

その過去の経験がある私は、フルマラソンに向けてペース配分を試してみようと、30㎞マラソンという珍しい大会に出場することにした。夫は20㎞、10歳7歳の子供たちは10㎞に参加。会場近くの宿に前泊し、会場で大会エントリーを済ませ、ホテル付近の川沿いを探索し、いつも通り早目の夕食を食べて、早朝5時のスタートに備えることにした。そう、すべてが「いつも通り」に行くはずだった。

深夜である。気持ちが悪い。おなかが痛い。私はトイレから動けなくなった。ホテルで食べた川魚の目の周りが原因に違いない。私しか食べていないのが不幸中の幸い。激しい嘔吐と下痢が4時間ほど続いた。私は完全に干からびていたが、ホテル出発30分前にはどうにかトイレからは解放された。夫は何度も「無理だから棄権した方がいい」と言った。何度も。私はその「棄権」という言葉が嫌だった。ありえない。棄権なんて。出発までの間、4時間で失った水分を少しずつゆっくりと胃腸を刺激しないように体内に取り入れた。時々痛む胃腸を労わりつつ、このくらいだったら大丈夫だと、根拠のない「大丈夫」をもってして、正論である夫の「脱水症状になりかけているし、睡眠不足だからやめた方がいい」という言葉に耳を傾けず、家族4人でスタート地点へと向かった。スタート直前まで「やめたら」と言う夫に、またもや馬鹿の一つ覚えである「大丈夫」を言い残しスタートした。

最初の4㎞くらいまでは“気合”で何とかいつも通りのペースで走った。でも距離を増すごとに痛む回数がどんどんと増え、どんどんと痛みも強くなっていった。ペースはどんどんと落ち、今まで味わったことのない、どんどんと抜かされるという状況になり、うるさいくらいの「どんどんと」という言葉だけが増えていき、悲しくなった。だが、悲しさよりももはや痛みの方が強かった。給水場所に置いてある毒々しい色のゲータレードを飲みながら、前へ前へと進んだ。もはや何が自分を突き動かしているのかもわからないし、そもそも何で夫の言うことを聞かなかったのか、なんでそんなに棄権したくなかったのか。

私を通り過ぎていく参加者たちは本当に優しかった。びっくりするくらい優しかった。いつも前の方で走ってきた私は、前だけを見てタイムラップだけを気にしてきたが、お腹を押さえながら歩く私にみんな優しかった。チョコレートやバナナをくれようとしたり、足の塗り薬をくれようとしたり。「大丈夫?」と何度も何人もの人たちに声をかけてもらった。全員と言って過言ではないくらいの人たちが声をかけてくれた。とても良い国だ。「完走したいな。。。」心の底から思った。「完走したい」だなんて思ったことなかった。するのが当たり前だったから。良いタイムを出すことしか考えていなかったから。

私の気持ちとは裏腹に、「どんどんと」人は私の脇を通り過ぎていき、折り返しを通過することはできたが17㎞地点で私は最後尾となった。あと13㎞。ペースは落ちていく一方、痛みは増す一方。このままでは運営側に迷惑をかける。私はリタイアを申し出た。屈辱的だった。そして私は異国の救急車でゴール地点まで運ばれた。迷惑をかけた。悔しくて、情けなくて涙が出た。

普段超絶健康な私であるにもかかわらず、その後4日ほど高熱を出して寝込んだ。かろうじて水分を摂取できるくらいで、内臓は弱り切っていた。自分の身体に相当無理をさせたらしい。病院へ行こうという夫に、これまた意味不明な「大丈夫」を繰り返し、ひたすら寝て身体の回復を待った。今思えば、病院で点滴を打ってもらったら一発だったかもしれないのに。何が私をそうさせているのだか。

大会直後から二日ほど、気づけば私と同様に伸びている子が一匹いた。眠り続けている。次女だ。7歳の少女に山の10㎞は辛かったらしい。まぁ若いから大丈夫だろう。よく走ったね。というか、走る以外に選択しなかったしね。その大会で、長女は10歳の部門で表彰され賞状をもらった。ほら、日ごろの差が出ちゃったね、と体力を奪われていても鬼母は健在であった。

何が私をそうさせているのか。何かに取り憑かれたように、一度始めたことは完結させなければならないと思い込み、常にベストパフォーマンスをすべきだと自分を追い込む。できないなら、できないことを証明しなければならない。だから倒れるまでやる。それしか方法が浮かばないから。

この刷り込みは「部活」だと思う。真夏の12時に校庭3㎞ランニングから始まる7・8時間の練習。夏の体育館締め切り1時間ダッシュ。水を飲むことも許されず、吐いてもまた走らされ、取れるまでボールを投げつけられる。体調が悪くても、学校を休んでいなければ部活は休めず、文字通り「倒れる」ことでしか体調不良を証明できない。そんな軍隊式の若かりし頃の刷り込みが染みついているのだ。恐るべき第二次ベビーブーム世代義務教育。この負の連鎖が続かないことを願って。

追い込むな 追い詰めるな 自分を守るのは 自分だけ

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