手紙 with COVID19

はっきりと覚えている。いつから手書きの文をほとんど書かなくなったか。2005年の年賀状を最後に海外に住んでからだ。なので、この15年年賀状は出していない。

元々私は結構な筆まめで、年賀状はもちろんのこと暑中見舞いを親しい友人に送っていたほどだ。小中学校は交換日記を友達とやっていたし、部活ノートなんていうのもやったな。あとは、授業中に筆談もしたし、便箋を♡の形やシャツの形に折って、手紙のやり取りとか。女性なら誰でもこんな思い出があるだろう。大学で独り暮らしを始めてからは、友人に結構小まめに手紙を送った。まだ携帯も普及していなく、e-mailは学校でしか使っていなかった時代だ。

結婚して、子供が生まれて、e-mailが普及して、手書きで書くことがどんどんと減っていった。さすがに一言添えるお礼状くらいは手書きで書いているが、そもそも長文を書く機会が激減した。それでもメールでやり取りしていた頃は「文章」を書くことは多かった。自分の書いた内容を推敲して、人様に送信していた。ところが今はどうだろう。非常に便利だと思って使っているのだけれども、今のプライベートのやり取りは、短い文だったり一言だったり、スタンプで事を済ませている。プライベートで文章らしい文を書くことはめったになくなっている。淋しいと思う時もあるが、やはり便利であるのは間違いない。

もう6・7年そんな「一言」で済むやり取りをしている中、今年に入って長文の手紙を3通書いた。GWに大学時代の友人たちの肉親が亡くなられたからだ。この特殊な環境下で告別式に出ることも、会ってお悔やみを言うこともできなかったので、お供え物の品と一緒に手紙を添えた。

相手の気持ちや人柄を想像して、便箋とペンを選び、ワードで下書きをして何度も読み返し推敲して、手紙を書いた。久しぶりに書くと字が下手になっていてがっかりしたけれども、お悔やみを伝える手段として「手紙」が最適だと思って書いた。

ずっと忘れていた。未だに沢山の便箋と封筒が我が家にあるのだが、相手や手紙の内容によってその時々の気持ちで便箋を選んでいた。内容で文字まで変えていたっけ。文章を書き始める前から送る相手に思いを馳せ、言葉を選び、自分の考えや気持ちが伝わることを願って書いていた。久しぶりにその感覚を思い出した。

そういえば、高校の時、親しい男友達に頼まれて、男子校の子と文通をしていたことがあった。簡単にSNSでつながる今の時代ではありえないのだが、結構長く続いていた。さすがに内容は覚えていないけれども。彼は大学卒業後パイロットになったらしい。どうしているかな、山田くん。久しぶりに思い出した。

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1件のコメント

  1. […] 「手紙」というエッセイにも書いたが、推敲しない文とスタンプは気軽で、割とすぐ返事が来てとても便利だと感じる一方、時に垂れ流している文字に「これでいいのか」と思うことがある。でも、その日の短い文のやり取りはまさに言葉の「キャッチボール」で、ワイワイと話をしている感覚だった。言葉を慎重に選びすぎず、ポンポンと飛び交う言葉には活気がある。気心が知れている仲だからこそだろう。 […]

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