方向音痴じゃないのに(前編)

7歳の時に英語圏の国へ引っ越した。父は2-3ヶ月前に赴任して、その後で家族が行ったのだが、家族で住む家が空くまで父のオフィスにアクセスしやすいアパートメントで3ヶ月ほど暮らした。

私たちはそのアパートメントから引っ越し先のパブリックスクールへサブウェイで片道1時間程かけて通い、母が送迎してくれた。学校へ行くには最寄り駅から一つ北のターミナル駅で乗り換えをする。毎日ランチ持参で、ドリンク代としてクォーター(25セント)と念のためにトークン(地下鉄のチケット)を渡されていた。

始めの頃、学校は多分大変だった。当たり前だが言葉はわからないし通じないし、日本人はいないし、校舎も教室も何もかもが日本とは違う。授業はもっと違う。色んな国から来ている人がいた。いい人も感じ悪い人もいた。不思議なことに、悪口や嘲笑されているのって、言葉がわからなくても分かる。「Japs」とか「Yellow monkey」とか言ってからかってくる。

転校して数週間後だったと思う。何が原因だったかさっぱり覚えていないのだが、何か嫌がらせされて、7歳なりに堪忍袋の尾が切れて?私はトークンを握りしめて学校を脱走し、家に向かった。

いつもの学校の最寄駅から地下鉄に乗った。乗り換えもした。あと一駅。あと一歩。が、反対の電車に乗ってしまった。慌てて次の駅で降りた。不幸なことに同じホームで戻る方向の電車には乗れない。乗るためには改札を一度出ないといけないらしい。当然英語も話せない。

もう少し経験があったら、上下線のホームが同じ駅まで電車に乗るのだが、そんな知恵もなく改札を出て地上に出た。見知らぬ町だった。そもそもターミナル駅より北の駅へ行ったことがない。お金もないし、言葉も通じないし、どうにかせねば、とキョロキョロした。

その都市にはシンボルタワーがあった。東京タワーとか、エッフェル塔みたいな。そのシンボルタワーは水辺に近いところにあり、その近くに父のオフィスがあるビルがあって家からも見える。家から見るよりも小さく見えるので、タワーに近づく方向に走っていけば我が家の最寄り駅があると、思ったのだった。

心細く、早く見知った風景に出くわしたいと、とにかくそのタワーに向かって走った。幸いなことにおそらくサブウェイと地上の大通りがほぼ一緒で区画整理された都市だったのだろう。ひたすらまっすぐ走ったら見覚えのある町にたどり着き、無事帰れた。

その先は覚えていない。叱られたのかどうだったのか、それすら覚えていない。たどり着いた満足感からなのか、「冒険」という記憶で、恐怖すらない。携帯電話なんて存在しない時代。治安の良い時代だったのだろう。でもこんな子が自分の子だったら親はたまったもんじゃない。勘弁してほしい。

と、言うように私は方向感覚が結構良くて一度訪れた場所はかなり鮮明に記憶している。地図を眺めるのも大好きだ。だから常に自分がどの方角に向かって進んでいるか自然と意識している。ランニングやドライブをしていても、美味しそうな店、面白そうな場所、きれいな人、可愛い小物など色んなものが目につく。

一方、夫は違う。どこを見て歩いているのかと思うくらい何も感知しない。ランニングをしていても適当な方向に行こうとするし、周りのことに興味が薄いと言うか、1時間ランニングしても夫と私では得る情報量が百倍違う。冷蔵庫の中のチーズも探せないし、とにかく見ている範囲が私とはまるっきり違う。

この夫の遺伝子がすこぶる厄介なのだ。後編に続く。

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1件のコメント

  1. […] 私は方向音痴ではない。(「方向音痴じゃないのに(前編)」から見てください!!) […]

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