
ある国に住んでいたとき、同じマンションのご婦人と仲良くなった。彼女は私のテニスの師匠でもあった。私や夫と同じ年齢の3人の息子さんがいて、とてもおしゃれでテニスの上手な方だった。
彼女とは楽しいお付き合いをさせていただき、うちの娘たちも随分とかわいがっていただいた。我が家にお招きしたり、彼女の家へお邪魔したり、お裾分けをいただいたり、差し上げたり、一緒にテニスをしたり。いろんな話もした。子供たちが1歳半と4歳半でその国へ行ったので、子育ての話も沢山したはずだ。思うようにいかない子育ての話をした時だと思う。彼女は静かに言った。
「子供の遺伝はお父さんとお母さんからだけ来るわけではないのよ。遠い祖先から脈々と受け継がれている遺伝子から来るの。」だから子育てで何か悩んでも、夫や自分に原因があるように思う必要はない。もっとおおらかに大きく考えた方がいいよ。というようなことを。
私はこの言葉に助けられた。
子供が何か問題を起こしたときや、(親の)意にそぐわないことをすると、「誰に似たの?」とつい思ってしまう。必要以上に自分を責めたり、矛先を夫に向けたり。実際は夫にも自分にも該当しないことも当然多々ある。そうすると「発達に問題があるのかな」なんて大袈裟に思ってしまう。というのを、長女が高校1年生くらいまで繰り返していた。その都度、「遺伝は祖先からのもの」という言葉を心の中で唱えていた。
今もそうだ。とにかくグータラな次女がそばにいると彼女の「グータラ気質はどこから来たのか?」と出所を明確にしたくなる。したところで、次女のグータラが改善されるわけでもないのに。そもそも、人の性格や行動なんて、遺伝だけで構成されているわけがない。その時々の環境や人間関係などいろんな要素が複雑に絡んでいるし、年齢が低かろうが高かろうが、子供はいろんなことを多感に察知し、大人が思うよりもいろんなことを考えている。
その「環境」も、子育てに行き詰まると、親の都合で引っ越しと転校が多く、言葉の通じない国へも行き、落ち着いた安定した環境を与えられなかったことが良くなかったのではないか、随分と自分を責めて悩んだ。イライラしたり落ち込んだりすると、うまく割り切れない自分は誰に似たのか?と自分の遺伝ルーツ探しとなり、わけのわからないループになっていく。
でも、私はこの無限ループから解放される方法を知っている。さっさと家を出してしまえばいいのだ。目に入らなければ、何も気にならない。遠い祖先や両親の遺伝子の影響があったりなかったりしながら、それまでの経験をもとに、子供たちは悩み迷いながら工夫して生きていくだろう。子育てに正解はないし、遺伝も環境もどう活かしていくかを決めるのは、結局本人たちなのだ。
