20年以上前、仕事の都合で、ある街に住むことになった。大きなターミナル駅まで電車で数十分くらいのその街は、電車も自動車も交通のアクセスがとても良く、子供も多く、物価も比較的安く、すぐに気に入った。借りた物件も角部屋のロフトと出窓がある部屋で風通しも日当たりも良く非常に住み心地が良かった。
その街でそのまま結婚して、子供が生まれて、最初のマンションを買った。その街は20年来の友達が出来た場所である。子育てが一番大変だった時、4度の国内外引っ越しの時、ワンオペだった時、私を助けてくれた友達がいる街だ。保育園つながりで仲良しの友達3人は、この約20年間、私がどこにいてもずっと友達でいてくれている貴重な存在だ。
友達の一人がその街のホールで演奏会を行うというので、行くことにした。私は今でもその街から10㎞くらいのところで毎週ボールを蹴っているので、これまで何度かその街へ行き、友人たちと会っていた。しかしここ最近はいつが最後だったか思い出せないほど行っていない。多分、2・3年前だと思う。この状況になる前はもっぱらターミナル駅周辺で集合していた。
当日練習場所に友人の一人が迎えに来てくれ、昔は自転車で通っていたその道を車で通った。懐かしい風景を目にして、「昔この公園みんなでよく来たよね~」と子供たちが小さかった頃の話をした。と、同時に随分と変わった場所も沢山ある。老朽化・耐震性の問題で取り壊した場所に新しいマンションやビルが建ったり、お気に入りの珈琲店がマッサージ店になっていたり。そして、一番の変化は友人の息子がびっくりするほど大きくなっていたことだ。中坊が成人男子になっている。背がグッと伸びて幼さがなくなっている。あの可愛かったほっぺたはもうどこにもない。自分が感じていたよりも速いスピードで時間は流れていたらしい。
懐かしさと一緒にもれなく「淋しさ」がついてくる。
他の3人は20年前後、ずっとその街で暮らしている。建物が取り壊されるところも、建っていくところも見てきている。いつのまにかなくなった店も、新しい店も知っている。気に入って住んでいた街で、今もまだマンションは所有しているのに、別の人が住んでいる。なんだか自分だけが取り残されている気持ちになった。
3人以外のママ友も、サッカーの仲間も、大学時代の親友も、みんなその街かその近くに住んでいる。おそらくその街を将来離れる人はほとんどいないだろう。今の土地に移り住んで数年。何度となく思ったが、その日はいつになく強く、その街に「戻ってきたい」と思った。引っ越しをしすぎていて、根無し草だと思っていたが、「友達」という帰る場所がその街にはある気がした。
今の場所もとても良い。立地も都心へのアクセスも、その街のマンションと似ていてとても便利だ。しかし、料理やお土産をお裾分けする友達、我が家に気軽に飲みに来る友達はここにはいない。
私はどこの国のどの学校でも、学校行事で知り合いがいなくても全く平気な人だ。よって、今の居住地の学校ママ友達はできなかったし、必要だとも思わなかった。働いている上にサッカーもしているので、地元で「習い事」もしていない。これからもここで私の友達を作る機会はなさそうだ。
「国内外どこでも暮らしていける」とずっと思っていたが、私は自分が思っていた以上に「その街」に帰りたいと思っているのかもしれない。懐かしさと同時にやってくる淋しさの正体は「郷愁」なのだろうか。自分にそんな感情があることに驚いた一日だった。
[…] ※Kちゃんとは「恩返しの形」で出てくるKちゃんである。いつもの4人は「懐かしいと淋しいの間」の仲間だ。 […]