
「お雑煮だけで良いんじゃないか」毎年そう思う。自分の勉強や仕事が忙しい年、子供たちの受験の年なんかは特にそう感じる。いつだったか「今年の正月はお雑煮だけで良い?」と家族に聞いたことがある。すると「良いよ」とあっさりとした答えが返ってきた。「おぉ―!!!今年は楽ができる」と心の中で思う。が、甘い。次の瞬間、「あっ、でも栗きんとんは食べたい」「あっ、じゃあ昆布巻きも」「黒豆も欲しいなぁ」「なますも食べたいよねぇ」「卵も!」などなど次から次へと出てくる。1年前の正月料理を思い出し、「あの柚子の漬物は今年やらないのぉ?」と何故か盛り上がってくる。実に楽しそうである。夫も「焼き豚とローストビーフもやるよね」とすかさず便乗する。「お刺身は大晦日に買えば良いよね」といそいそとしている。
嬉しいやらめんどうくさいやら。まぁこれだけ家族にリクエストしてもらえたら、純粋に嬉しい。でも、言わせてくれ。めんどうなのだ。
お節料理と雑煮は結婚して20年毎年作っている。海外に住んでいた8年間も欠かさず作っていた。うちの母が毎年きちんとお節を作る人で小さい頃から手伝うのが当たり前だった。「料理と私」で書いたが、母のお節料理は土井勝さんの料理本に忠実で、ものすごく甘くて味が濃い。お節料理だから当たり前なのだが、もともと薄味の私はさほどお節は好きではなかった。だから、自分が担当するお節料理は砂糖や醤油を少なめに入れていた。食べきるなり、火を通せば日持ちする。なので、面倒と思いながら毎年せっせとお節料理を小学生の頃から毎年のように手伝っていた。
私が中1か中2くらいまで、1月2日は親戚の家に行っていた。そこで出されるお節料理は衝撃的だった。市販のものなので、とても甘い。そしてしょっぱい。お節以外の料理も市販のもので食べられなかった。母の作る料理とは全く違うものだった。正直なことを言えば、親戚の家への訪問はお年玉をもらいに行くことだけが目的なので、料理も甘いケーキ類もほとんど食べず、時間を経つのを待つだけだった。だが、その日は年に一度、母に感謝する日でもあった気がする。常日ごろから美味しいご飯を用意してくれている。お節料理も一切手抜きなどせず、土井勝先生の本通りに作る。食事は一日最低3回ある。大変なことだ。
当時実家ではお雑煮も鶏ガラを買ってきて寸胴鍋で出汁を取り、餅も餅つき機で作って用意していた。もう20年正月の実家には行っていないので今はどうだかわからないが、とてもマメな母だった。
私のお節料理はきっかり三が日で食べきる分しか作らない。毎年、「〇〇もう少し食べたかったな」と家族が言う分量がちょうどよい。味も薄味なので3日間でお終い。うちの娘たちも少しだけお節料理を手伝う。積極的に絶対に手伝うのが「栗きんとん」だ。いそいそと二人で女子トークをしながら甘さを加減し、いくつもの巾着を作る。作り終えると嬉しそうに「一つ食べて良い?」と必ず聞く。一つで終わったことなどない。よって、あえて大晦日の夕飯直前に作ることにしている。
それにしても実に美味しそうに食べる。何を作っても美味しそうに食べてくれるので、この20年間どんなに忙しくても手作りにこだわっている。鶏チャーシューや赤かぶの漬物を薔薇の形にして盛り付けると料理が映える。昆布巻きの魚を、きんとんの芋を2種類にするとどちらが好みか話し出す。「家族団らん」である。
今年ももうすぐお節料理の季節がやって来る。「面倒だなぁ」と思わない年はないが、今年も頑張るか!!と思う。20歳になった長女はあと何回一緒に正月を迎えるのだろうか。お節料理を作らなくなる日は来るのだろうか。
