一年の重み~悔し涙、歓喜の涙、感動の涙~

action ball field game
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終わってしまった。図々しい話だが、当事者どころか関係者でもなく、ただの「観戦者」にもかかわらず、一連の試合の高揚感とすべての日程が終了した脱力感に包まれている。

今年度は知り合いが有名校サッカー部のスタメンだったので、2020年2月の新人戦から応援が始まった。3月以降イレギュラーな状況となったが、SNSでいろんな学校の関連動画や過去の動画を見ることも多く、10月に入ると県予選の動向に目を光らせ、11月はあらゆる県の決勝戦を観ていた。こんなに高校サッカーの試合を沢山観た年は未だかつてない。

残念ながら友人は選手権へは進めなかったのだが、去年からチェックしていた他2チームの選手数名を私は追っていた。追っていた選手の一人が選手権の初戦で頭にテーピングを巻き、目を腫らして出場している。本調子ではない。同じチームの1年からキャプテンを務めるその仲間もどこか硬い。私はその二人を去年も見ていたのだが、「3年生」という看板は想像以上に重いようだ。県決勝でそのキャプテンは初めてよく眠れなかったそうだ。先輩がいない中でのキャプテンという重圧、「今年で最後」という節目。ケガをしてでも出場する存在感とプレッシャー。それでも試合を追うごとに立て直していき、楽しそうないつも通りのプレーを見ることができた。しかし終わりは訪れた。準々決勝終了の挨拶をしても涙はこぼさなかった。ベンチに戻り負傷交代したDFリーダーと抱き合って涙した。最後までキャプテンである。良い後輩も育っている。小柄な選手が多いこのチームのプレーがまた観たい。

もう1つ追っていた選手は選手権常連校に所属し、去年1年生から異彩を放ち堂々たるプレーをする選手であった。去年その選手は大事な場面でマークを外し相手に得点を与え、その後足をつって途中交代をした。私はそのとき(なんとなく)相手チームを応援していたのだが、人目をはばからず泣きじゃくる天才プレイヤーが気になって仕方がなかった。来年どうなるのか。

今年度の彼は一回りも二回りもがっしりとし、細い線の残っていた去年の姿はもうない。顔つきもあどけなさが薄れ、「自由で多彩」なプレーに「責任」が大きくついていた。偉そうなことを言うようだが、「個」と「全体」のバランスの取れた視野が広がったプレーになったと素人ながらに思った。

1年でこんなに変わるんだ。ティーンエイジャーの1年の重みを改めて感じた。

今大会、単独最多得点である別の選手はPKを外し、大粒の涙がずっと止まらなかった。個の栄光よりもチームの栄光。積み上げてきたものがあるから流れる「悔し涙」。「悔しい」という感情はやるべきことをやって来た者のみに与えられる特別な感情だと思う。去年下を向いて泣いていた今年のエースはその先輩に寄り添い前だけを見ていた。もう1年生ではない。次に最終学年を背負う目だ。

たった3年という通過点の中で、貪欲に、自分に厳しく、チームの和を重んじ、成長し続ける選手たち。対戦相手に気を配ることも、ピッチへの、そして関係者への礼儀も欠かさない選手たち。どこの学校の選手も本当に素晴らしかった。かっこいい。日本人として誇らしい。

鍛え抜かれた戦術とITを駆使した戦略で優勝し、歓喜の涙に包まれた選手たち、関係者。零れ落ちた勝利に悔し涙を流す者、涙をこらえる者。 TVの向こうの沢山の観客に感動の涙を与えてくれた選手たち、関係者に感謝し、来月の新人戦からまた忙しく?なるかと思うとソワソワする。高校生は毎年必ずやって来る。楽しみである。

無観客となった準決勝、決勝。いろんな決断を下した大会本部。家でのTV観戦をした部員と家族。部外者である私もTVの前で最後まで観戦でき、記憶に残る大会だった。心から感謝する。「一丸」という言葉が心に浮かぶ。これからも応援し続ける☆永遠の憧れである。

sky sunset field sunrise

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