
同級生とは不思議で特別なものだ。「不思議で特別」と思えるのは、もうそれだけ長い月日が流れたということなのだろう。出会ってからもうすぐ30年という短くはない月日の中で、変わったものも失ったものも沢山あるけれども、それでもちょっと一緒にいればなんとなく昔に戻れる。戻れない昔に戻れる気がするから「不思議で特別」なのだろう。
数年前、私は同級生の一人と一緒に葬式に行った。その友人と葬式に行くのは2度目だった。1度目はまだ大学生の頃、同級生の親族が亡くなったときの告別式だった。それから20年以上経ってまた二人で喪服を着ることになった。駅の改札から出てくる友人を見て、不謹慎だが、これから私が死ぬまでの間に、この友人とは幾度となく肩を並べて喪服姿で歩くのだろう、と思った。他の誰でもなくこの友人と黒い服で歩く回数が多くなるのだろう。そして何故だか確信を持ってその友人は私の死を悲しんでくれる人になる、つまり私より長生きすると感じた。というよりも、絶対にその友人の式には出たくないと思ったのだ。そんな絶望的な想像をしたくなかった。この先もずっと私の隣で一緒に悲しんでくれる人なのだ。そして私が死んだらきちんと笑って泣いてくれる、いつまでも変わらない真っすぐでおおらかな友人なのだ、と改札から出てきた2度目の喪服姿を見て直感的に思った。
不思議で特別な感覚だ。数えきれない楽しいことやバカなことも、悩み事も挫折も共有していて、もちろんそういう意味でも特別な友人なのだが、「そういう意味」で特別な友達は他にもいる。しかし喪服を着て一緒にそっと隣にいるのはその友人なのだ。
人生の折り返し地点にいる私たちは、確実に避けることができない行事をいくつも通っていくことになる。「同級生」という不思議で特別な仲間がいれば怖くはないのだろうか。
私がこんなことを考えているなんて、その友人は露ほどにも思わないだろう。いつか笑ってこんな話が出来る日が来るのだろうか。笑えないくらいの年齢になったら、いつものメンバーでこの話をして、戻れない昔に戻って笑い話にしようと思う。その中に私がいなかったとしても、みんなで誰が一番図太いか、そんな話をして欲しい。ずっとそんな関係の「同級生」でいたい。

初めましてコメントを頂いたので覗きにきました^^;
友達の中でも同級生と言うのは、又違った感じなのかもしれませんね
その様な友が居るということも財産?
友達は大きな財産です。ありがたいです。