またね(前編)~大学と出会い~

brown and black wooden chairs inside room
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“See you”や“再見”は別れ際に使うすごく前向きな言葉だ。「また会う」ことが前提の挨拶だ。

日本では私が小学生くらいのときに「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束」という歌が流行った。その歌詞通り、「さよなら」に含まれる意味は多種多様だ。

A国にいたときに大学に通っていたのだが、そこには色んな人がいた。国籍も年齢も性別も様々で、文化や習慣が違っていて大学の勉強以上に学ぶことが多かった。あるタームに日本とは国交のない国の16歳のY青年とクラスメイトになった。当時私は30代前半。倍ほども歳が違うクラスメイト。彼が一緒だった時のメンバーは、彼がダントツ若かったのだが、10代から70代まで各世代が一人二人いるようなクラスだった。

当時、私は大学へ通う傍ら、不定期でTV局支社の通訳の仕事をしていた。Yの国に関する案件がメインだった。その仕事のためにかなりYの母国について調べたり、本をあさったりして勉強して、日本とその国との関係性も深く知るようになっていた。国交がないのだから、日本にとって“そういう存在”の国だ。

Yは留学が出来るくらい、母国では地位の高い家庭に育ち、そして賢い子だった。最初は年上だらけのクラスメイトにどう対処したらいいか分からない節はあったが、私たち大人、特に社会人を経てこの大学に通っているメンバーは、真面目で礼儀正しくしっかりと勉強している姿に好感を持ち、大人びているのにたまに見せるお茶目な16歳をみんなで見守っていた。

グループワークやディベート、プレゼンなども多い授業ばかりだったので、クラス全体が先生ともどもとても仲良くなった。共通言語であるA国語で休み時間におしゃべりをし、SMSやe-mailで普通に連絡を取り合い、授業に関すること以外のやり取りをすることもあった。先生主催の食事会や先生宅に招いてもらうこともあるような気さくな素敵なメンバーで、本当に貴重な海外大学生活だった。

授業が辛かった分、私たちは普通の学生以上に仲良くなった。そんな時間を過ごすうちに、彼はA国にある母国のレストランに招待してくれるほど私たちと馴染んでいた。6-7人で行った素敵な食事会だった。Yが予約してくれた店へみんなで向かい、Yがおすすめのメニューをオーダーし、彼が料理の説明もしてくれた。私たちに国境はなかった。異国で出会ったただの学生同士だ。Yに対して子持ち組は親目線、孫目線もあったが、基本的にみんな向学心を持った同じ学生同士だ。

次回:またね(後編)に続く

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5件のコメント

  1. 海外での生活は学生でも社会人でも、とても有意義な体験だと思います。特に個人個人とは本音で付き合えて彼や彼女たちの国の政治体制とは全く関係がないと思いました。今でも、その国の政治は嫌いですが個人は素晴らしい人たちばかりでした(*^_^*)

    1. 同じ国籍の日本人でも、全く合わない人は合わないし理解できない人もいます。
      個人的な付き合いというのは、国は関係ないとつくづく思います。
      子連れで大変だった時に、気持ちよく助けてくれた外国人の方も沢山いて、個人として本当に素敵な出会いが多かったです。

      1. 積極的に人の輪に入っていかれるCoccoCanさんだから相手も本音で付き合ってくれるんでしょうね👏

      2. そう言っていただけると嬉しいです!!

  2. […] またね(前編)~大学と出会い~:続き […]

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