
日本人だし母国語も日本語だが、日本語が性に合わないと思うことが多々ある。その一方で、小説を読んでいて日本語の美しさを再確認することも多い。
最初に日本語を窮屈に感じたのは、子供の頃にC国で過ごし日本に帰国した時だ。小学校5年生の2学期に帰国した後の、2者面談で母が学校の先生に「〇〇(私)さんはハッキリとモノを言いすぎる」と言われたらしい。そのとき私は母に言った。「直接私に言えばいいではないか」と。
当時から、意味のない多数決とか感情論とか「いつもこうしていた」と言う世襲制?なのが嫌いだった。それを論理的に説明して、どう改善できるかを考えるのが好きだった。
10歳の子供相手に本人と対話せずに「親に言いつける」ことを選択肢に選ぶ人を、「先生」と呼ばなければならない理不尽な日本の学校制度。本当に合わなかった苦笑
「先生、親が私を統制できるわけありません」子供は大人の所有物ではない。「個」だ。
細かい違和感は数えきれないほど子供の頃からあったのだが、「日本語が一番不自由だ」と思ったのはA国へ行ったときだ。私はA国の大学でその国の言葉を勉強していた。他の若い学生と一緒に勉強するので、体重が減るほど勉強したのだった。体重が落ちたのは、日本のTV局で通訳の仕事も不定期で行っていて、仕事が入るとそっちの勉強もあったからだ。その頃、私は駐妻世界に全く馴染めなかった。というか、馴染みたくなかった。でも、「子供たちがいるし」という葛藤をしながら日々を送っていた。大学も行き仕事もする駐妻は「横並び」にはならない。異質なものを嫌う日本社会。言葉尻をとらえられて、私が悪く言われるのは良いのだが、子供たちに影響する。私はできるだけ話さなくなった。
そして私は気付いた。
次回 後編へ続く

僕は中高のセンセをしてましたし、家族で1年間バンコクに住んだことがあり娘は日本人学校へ通ってましたので、とても興味深く拝読しました!
先生をなさっていたのですね!
バンコクの日本人学校は上海と肩を並べるマンモス校らしいですね。日本人多いですものね。
とーっても続きが気になります。私はほとんど記憶がないほど小さい時にコメグニに1年半だけ住んだだけですが、その間に海外的物の考え方を少し吸収したらしく、時々本当に日本人の物の考え方が”意味がわからない”と思うことがあります。
みんなと一緒、が好きですよね。未だに理解不能なのが、服屋さんで店員さんに言われる”これ今人気なんですよ”という言葉です。プラスの意味で使っているようですが、私はそれを言われると、”あ、じゃあいらない”と思います。
うちの両親も姉もとても保守的な考え方の人たちで、私だけ何で?と思うのですが、C国での影響が大きいのでしょうね(不思議と姉にはないようですがw)
服屋さん、あるあるですよね笑 食べ物ならまだわかるのですが。。。不思議ですw
生まれ持ったものと経験との掛け合わせですかね….
親からの影響をどの程度受けるかも大きいですよね。私には両親の保守的な考え方がとにかく合いませんでした。
面白いものです笑
確かに俳句や短歌に登場する日本語には素晴らしい一面がありますが、含みを持たせた表現や、忖度して対応する事など海外で生活をされた方には息詰まる様なことが多いですね。
私も6年間サラリーマン社長で海外生活を送りましたが大手会社の社長や市長などとのアポが簡単に出来て日本との違いを見せつけられました。日本も国際化を急ぐ必要ありですね(*^_^*)
何に忖度しているのか?と不思議に思うことが多々あります。人と違って当たり前だし、意見を交換することは自分を豊かにしてくれます。
6年も海外で社長さんとはすごいですね!! 海外ではTopの人たちがとてもフレンドリーだったのも、とても楽しかったです。ファーストネームで呼び合いますからね☆
雇われ社長でした(^^)/
日本で大会社のトップに会うのは大変な事ですが海外では案外と簡単に会えて良かったです。そして海外はトップダウンなので結果が早いです(*^_^*)
いえいえ、トップを海外で経験なさっているなんて!!!
日本の意思決定の仕組みって本当に時間がかかります。捺印制度もあるのでしょうかw
日本人が検討しますと答えると相手は期待しますよね。結果はNOならばNOと答えれば済む事なんですが( ^)o(^ )
仕事でもプライベートでも、「それで、結局どっち?」と思うような回答もしばしば笑
不思議な言語です。
確かにそうですね。どっち?の場合はNOって思う様にしています( ^)o(^ )
それしかないですよねw
(‘-’*)オハヨ♪ございます。
日本語の表現力は多種多彩がゆえに曖昧な表現で逃げるって事多いなと思いますよ。仕事で海外へ行く機会が結構あったのですが、中途半端な物言いは感じませんでした。ハッキリと物を言わないと相手の不信感を招くって言うの身をもって感じてきました。
私の場合、中学の時同学年が300名ほどいて就職する物が10名以下しかいなかった時に皆と同じは嫌って言う事で就職を選びました。結果、仕事で海外経験も出来て人としての視野を広げる事が出来て良かったと思ってます。語学力は向上しませんでしたが(;^_^A アセアセ・・・
学校もそうなのですが、「みんなが進学するから」なんて、理由としてはもっての外です。
>>ハッキリと物を言わないと相手の不信感を招く
→ものすごくしっくりくる言葉です。きっと私が日本人に対して、不信感を持っている(いた)のですね!!
せっかく海外に住んでいるのに、日本人としかつるまない日本人社会が合いませんでした。おっしゃる通り、視野を広げる絶好の機会なのに、、、
興味ある内容ですね。
私は海外生活の経験はないので海外の事はわかりませんが
CoccoCanさんと同じような事が小学生の時にありまして、直接言った事があります。
それと何があったかは覚えていませんが「先生が言っている事は間違っている」
と言って先生を困らせた事があったらしいです。
自転車で札幌ラーメンを食べに行くようなお子さんだったので、「先生が言っている事は間違っている」くらいは朝飯前ですね笑
意見を出し合ってよりよいものにしていくプロセスなだけなのに、、、そして、人間いくつになっても間違います。必ず。間違わないことがないのが人間ですw
駐在はかなり楽しいのですが、駐妻はエンジョイする人と全く出来ない人と別れるでしょうね。独身の私はその辺全く気にする必要なかったですが、奥様が全く馴染めず夫の仕事にも影響が出ているケースもあったと思います。
海外、馴染めないと辛いですよね。。。
今日の投稿に書きますが、馴染めない人には日本人が集まる場所は良いのだと思います。
私の様に一人で十二分に楽しい人もいます笑
アハッハッハッ^^;
子供ながらに私がいう事は絶対!という感じに違和感を覚えたような気がします。
自転車でラーメン!!
覚えていてくれましたか〜
嬉しいですね。
あの時代なのにリサーチ力と行動力とジャージが面白かったので笑
[…] 「不自由な日本語(前編)」の続き […]
[…] 「不自由な日本語(前編)」と「不自由な日本語(中編)」の続き […]