こどもの想像力

こどもの想像力

「coccocanの由来」でちらっと書いた、長女の幼少期の話。長女は10か月で保育園に通い始め、おしゃべりが上手になって来た2歳ちょっと前から、長女にはどうやら保育園に「やんちゃん」という仲の良いお友達がいるらしいことがわかった。

20年前はようやく“フレックスタイム”や”時短勤務“と言う言葉が少しずつ出て来たころで、導入されている会社はほとんどなく、当時勤めていた会社もまだだった。なので、長女のお迎えはいつも最後か最後から2番目だった。朝はいつも早かったので、他の子供たちともあまり会わない。保育園のお友達となかなか会うことが出来ずにいた。

うちの子供たちは幸いにして、保育園や学校が大好きで、国を跨いであんなに引越しをしているのに、登校(園)するのが嫌だと言ったことはない。2歳の彼女もいつも楽しそうに、その日誰と何をして遊んだか、給食は何だったか、先生のことなど一生懸命話してくれていた。

その話に良く出てくるのが「やんちゃん」だった。よく話を聞いていると、日によって「やんちゃん」の人物像が微妙に変わる。「やんちゃん」にお世話をしてあげる日もあれば、「やんちゃん」にお世話されたり、意地悪されたりする日もあった。まぁこのくらいは普通にあるだろう、、、と思っていたのだが、そのうち日によって「やんちゃん」は年上になったり年下になったり、性別もハッキリとしない。

そして、休日に家で一人遊びをしているときも「やんちゃん」に話しかけているときがある。まるでそこにいるかのように。

まぁ、2歳児だしなぁ、、、と思っていたのだが、ある日先生に「やんちゃん」と呼ばれているお友達が保育園にいないか聞いてみた。そう、いなかったのだ。

「やんちゃん」は“長女の世界”の中の友達で、「やんちゃん」は彼女の都合によって年齢も性別も変わる、唯一無二の存在だった。だから、時には彼女のお姉ちゃんかお兄ちゃんのような頼もしい存在になったり、ある時は嫌がらせをしてきたり、ある時は長女がお世話をしてあげる存在になったり、と変わるのだ。

最初は少し「(情緒的に)大丈夫かな?」と彼女の情緒が安定していないからなのかと不安になったのだが、良く食べるし良く遊ぶし良く寝るし良くしゃべって、いたって健康である。

しばらく様子を見ていたのだが、どうやら彼女の中の何か釈然としないことや、願望、反省などがあって、それを「やんちゃん」を通して語っていたようだ。「やんちゃん」で自分の心のバランスを取っていたようだ。

その後妹が生まれて、海外に行き海外の慣れない生活の中でも「やんちゃん」はしっかりと彼女のそばにいた。そして6歳に近づいてくるころには「やんちゃん」という名前は聞かなくなった。

次女が自分のことを「こっこ」と呼ぶのもそうなのだが、自分の中にいるもう一人の小さい自分がバランスを取っているのかもしれない、と思っている。「やんちゃん」は親として不思議な体験だったが、私たちも「やんちゃん」の存在を認めて、保育園の友達ではないことが分かった後も、彼女の親友として長女が語る「やんちゃん」の話をした。

きっと、今もどこかで誰かのところに「やんちゃん」はいるだろう。素敵な唯一無二の友達として。誰かの力になっているだろう。

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8件のコメント

  1. こんばんは(^^)
    子供って誰かに話しかけながら遊んでる事がありますね。架空の人物を頭に浮かべてるんでしょう創造力の豊かな証拠だと思って子供を見てました。

    1. まさに「想像力と創造力」両方ですね!!
      子供には小人が見えるなんて言いますが、本当なのだと思います☆

  2. 「やんちゃん」素敵なお友達だったんですね。
    私も、そんな友達が欲しいな~。想像力がないからダメかな(^^)/そう思うと羨ましいです!(^^)!

    1. 幼児期に描く絵や物語もそうですが、その年齢にしかない「感性・創造力・想像力」は一生ものではないですよね。
      「やんちゃん」は彼女の心の拠り所だったと思います!

  3. すごいですね、人間/子供に備わってる自衛メカニズムというか、誰に教わったわけでもないのに。そういう話を聞くと脳のしくみって神秘的だなぁと改めて思います。都合の悪いことは忘れてくれたり、いろいろしてくれますよね。

    1. 脳の仕組みは神秘的ですよね。
      小さい子供のあの創造性は大人になってから同じようには持続しませんし。
      都合の悪いことは忘れたり、加工?しますからね笑

  4. またもやかわいい。私は、やんちゃんは本当に存在している(いた)のだと思います。きっとピュアな子供にしか見えない、あるいは感じられない存在。色んなことを色々知ってくると見えなくなるのかな?

    1. >>色んなことを色々知ってくると見えなくなる
      →きっとそうなのでしょうね。あと経験も知識も増えてくると、感情や状況の「落としどころ」が分かってくると言うのも。

      良くも悪くも「賢さ」と「純粋さ」は反比例とまでは言いませんが、比例しないのでしょうね。悲しいですが、ピュアなだけでは生きて行けませんしね笑

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