もう十分頑張っているよ (後編)

「私大丈夫かな?」と思ったときもあったのだが、とにかく忙しかったので、「深刻ではなく、そう言うことを考える人もいるだろうし、そういう時期もあるでしょ」と流していた。家事・仕事・育児だけではなく、サッカーしたり、友達を家に呼んだりもしていたので、きちんと気分転換の場所があったから救われた。ずっと続いているその友人たちに感謝しかない。
「あの頃おかしかったな。普通ではない状態だったのだな。」と自覚したのは、そういう考えが頭に浮かばなくなって1年くらいしてからだ。今考えると、ちょっと怖い。子育て、仕事、これからの人生、色んなことを抱えて、考えて、どこかとても疲れていたのだと思う。あの時期からもう何年も「死んだら楽になれるのかな」なんてことは、微塵も頭に浮かばない。深刻であろうがなかろうが、そんなことが頭に浮かぶのは多少なりとも「異常」であるということが、今なら分かる。
一見前向きな人は「このくらい頑張らないと!!」と自覚症状がないまま、自分を追い詰めて疲弊している。意外と親兄弟姉妹・配偶者・友達にどっぷりと甘えられる人の方が、定期的にこまめに吐き出す場所があって、助けがあるから大丈夫なのかもしれない。
専業主婦(夫)の人もそうだと思う。「外で仕事をしていないのだから、このくらいの家事や子育ては、、、」と考える人は要注意だろう。私の周りの専業主婦の人はそう言う人が多い。外で働いている主婦(夫)と専業主婦(夫)を単純比較することは出来ないし、逃げ場のない専業主婦(夫)という世界は親兄弟姉妹や配偶者の助けがなければ、外の空気を吸う機会がない。
「普通じゃない状態」が「ぼんやり」から「クッキリ」に変わっていたら、赤信号だったのだと思う。幸い、赤信号にならなかっただけで、黄色信号は灯っていたのだ、きっと。
子育てだけではなく、仕事や介護など、なんでも一生懸命に努力することは尊いと思うけれども、「もう十分頑張っているよ」と自分で自分を褒めることは必要だ。難しいけれども。きっとあの頃の私だけではなく、今もどこかで無自覚に「黄色信号」が灯っている人がいるかもしれない。深刻になる前に自分を労って欲しい。どの選択をしてどんなに頑張っても、後悔が全くない人生はきっとどこにもないのだから。大丈夫、もう十分頑張っているよ。
同じ状況に置かれても、人によって感じ方や対処の仕方はさまざまで、CoccoCanさんの書かれているように、”自覚のないまま”って危険だと思います。
私は心が病むことに恐怖心のようなものがあり、そうならないように、早め早めに対処しています。人に甘えるのは苦手なので….以下文章に上手くできなかったので諦めました。なら書くなよ、って感じですが、”ちゃんと読みました、興味深いトピックだと思います”ということをお伝えしたかったです。
温かいメッセージをありがとうございます。
心の内を文字にするには勇気と時間が必要ですよね。全てを文字にする必要もないですし、出来ないことの方が多いです。
なので、こうやってコメントを下さってありがとうございます。
人に甘えるのって、本当に難しいですよね。きっとそうなったきっかけを辿って行けば原因が見つかるのかもしれませんが、原因が分かったところで、何?というのもありますし。
私も、このエッセイが書けるようになるまでに、5年以上かかっています。過去と思えるまでにかなり時間がかかりました。
人は程度に差があっても、「心が病む」境目を多少なりとも行ったり来たりした経験があるのではないかと感じています。
責任感の強い人ほど自分を追い詰めるようです。
気分転換は良いですよね。最近、私は気分転換を理由に手抜きばかりです(*^_^*)
「飴と鞭」はセットでなければなりませんねw
出来ない理由、やらない理由を100万個言うようにはなりたくありませんが、「出来たこと、出来ていること」をきちんと自分で認められるようにはなりたいです。
そして、気分転換は本当に大切だと振り返って改めて思いました。サッカーがなかったら、友達がいなかったら、、、と本当に感謝です!!
「もう十分頑張っているよ」って気持ちを持つ事は大事だと思ってます。私の場合は自己満足で良いと言う思いです。気分転換が出来る趣味や友人を持つ事も自分自身を救ってくれますね。何事にも浅く広くの私にはこれだと言える事がないのが趣味です(笑)後悔する事で人生は前へ進むんじゃないでしょうか。
後悔や反省はそこにこだわってしまっては行けませんが、より良い未来への原動力ですよね!
気分転換の効果は大きいです。本当に。
とても心に響くお話でした。
実は、今の私、疲れてます笑
今年の春からずっと、強い緊張の中に居続け、この前やっと解放されたばかりで、
まだ強張りが残っていて、心と体がスムーズに動かないところがあります。
「今はやるしかない!」と思い走り抜けましたが、相当無理をしていました。子どもの頃から、自分の本心を隠してやり過ごすことに慣れ過ぎていて今回も出来てしまったのですが、さすがにこれ以上はやめようと思いました。
これまでの苦労があるからこそ気づけたとも思います。本当の自分から目を逸らさず、心地よい時間と空間の中で、緩やかに魂を磨いていきたい。読んでいてそんな気持ちになりました。
温かいコメントありがとうございました。
「無理すれば出来てしまう」って実は怖いですよね。無限になってしまって、終わりがどこか分からなくなります。
長距離走を走るときに、苦しくなると「5㎞走れたんだから、10㎞は走れるはず」そして10㎞に到達すると「10㎞走れたのだから20㎞行けるはず」と小さい時から鼓舞していました。きっとyutakanaonakaさんもこういうタイプの方なのかと感じました。
大会やレースはきちんと距離が決まっているから良いのですが、仕事・介護・家事・育児などはハッキリとした区切りが難しいです。
どこかで、キッチリと心身ともに休む時間を作らないとやはり限界が来てしまいますね。
きっときちんと休むことによって、また次に何かを始めるときに、過去の自分が未来の自分を助けてくれるのだと思っています。