スマホの指紋認証が出来ない。手が濡れているからか、ハンドクリームを塗っているからか、手もセンサー部分も丁寧に拭く。だが、反応しない。手荒れがひどいらしい。めちゃくちゃ不便だ。どうすれば良いのだ。

healthy, yummy, easy and gorgeous
スマホの指紋認証が出来ない。手が濡れているからか、ハンドクリームを塗っているからか、手もセンサー部分も丁寧に拭く。だが、反応しない。手荒れがひどいらしい。めちゃくちゃ不便だ。どうすれば良いのだ。
重い腰を上げて、天袋からクリスマスグッズを出して飾った。飾ればやっぱり華やかだし、可愛いし、でも年末の忙しいときに片付けることを考えるとちょっと滅入る。こんなところにも「年齢」はじわじわと出てくるのかとしみじみと思う。
「新しい会社を立ち上げる」と大学のグループメールにメンバーの一人から近況が入った。8年くらい前だろうか。彼は大学卒業後、第一志望の企業に就職し、希望のクリエイティブ職に従事していた。そしてその勤務先が出資する会社の代表になるということだった。
人は多かれ少なかれ、他人との比較の中で自分を評価したり、力の入れ方を考えたりするものだと思う。少なくとも私はそうだ。
「お雑煮だけで良いんじゃないか」毎年そう思う。自分の勉強や仕事が忙しい年、子供たちの受験の年なんかは特にそう感じる。いつだったか「今年の正月はお雑煮だけで良い?」と家族に聞いたことがある。すると「良いよ」とあっさりとした答えが返ってきた。「おぉ―!!!今年は楽ができる」と心の中で思う。が、甘い。
男兄弟もいないし息子もいないので、いわゆる「男子」世代が家にいたことがないので、家の中に「男子」がいる感覚がわからない。サッカーの女友達はみんな息子がいる。彼女たちは口をそろえて言う。息子の友達が来ると、その子の兄弟に女子がいるかどうか「匂い」でわかると。
気に入って住み始めた「その街」は独身のときに住み始め、結婚し、子育てをし、大変な時期に力を貸してくれた友達が住んでいる場所だ。私はこれから「その街」とどうかかわりたいのだろうか。
長女の卒業した高校は年に2回保護者会があって、かなりの保護者が集まる。海外組以外来ない親はいないのではないかと思うくらいで、夫婦で出席する家庭も珍しくない。だからなのか、PTA活動も活発で、先生・生徒・保護者の距離が近いように思う。担任の先生にもよるのだろうが、先生と生徒、先生と保護者が割と仲が良い。
子供が何か問題を起こしたときや、(親の)意にそぐわないことをすると、「誰に似たの?」とつい思ってしまう。必要以上に自分を責めたり、矛先を夫に向けたり。実際は夫にも自分にも該当しないことも当然多々ある。そうすると「発達に問題があるのかな」なんて大袈裟に思ってしまう。
春の陣から半年が経とうとするころ、長女から連絡があり友人たちとドライブ旅行を計画しているという。他の2人は実家暮らしで日ごろから運転をしているので問題ないが、自分は不安なので運転の練習をしたいというので親子自動車教習に行くことにした。当日私が後から車に行くと、夫が何度も「ブレーキ」と「アクセル」の確認をさせている。重要だ。次にギアの「R」は何か尋ねる。いいぞ、さすが夫。だが、答えは返ってこない。とても不安だ。まだ出発もしていないのに、この調子である。そして家から数百メートルの駅前の交差点で夫が「真っ直ぐ行って」と言うと、例のあの言葉が返ってきた。「真っ直ぐってどっち?」。勘弁してくれ。私だけ駅前で降ろして欲しくなった。
長女が大学生になってすぐ運転免許を取った。客観的に見て運転が向いているとは思えないが、将来運転しなければならない機会は訪れるだろうと思い、取らせることにした。無事運転免許証を取って、そのあとすぐに独り暮らしをし、気付けば大学1年生の終わりになっていた。ペーパードライバーである。これではいかんと、桜の季節にドライブに行くことになった。
正装ではないが、浴衣でも、和の色使いの美しさや、帯や小物との組み合わせの楽しさ、着ているだけで背筋が伸び、おしとやかになる気がして、年に一度着る浴衣が好きだった。
ここ7年以上髪は伸ばしていない。長い髪は結んでしまえば楽だったし、髪形を変えれば気分転換になるので、昔は割と好んで長い髪にしていた。だがこの7年ほど理由は色々とあるけれども、ずっと短い。髪を洗うのも乾かすのも楽だし。
色々な人の反感を買うのを承知で言うが、プロ野球は全く観ないけれども、高校野球のあの懸命さと爽やかさは好きだ。「高校スポーツ」は技術云々よりも、一球一球が「高校生活最後」になるかもしれない緊張感とそれまでの努力を垣間見ることができ本当に楽しい。
3年半前に今の家に移ったのが23回目の引っ越しだ。海外引っ越しと国内引っ越し、近距離の引っ越しも含んでいるのだが、単純計算すると2年に1回家が変わっていることになるので、今この家に3年半も住んでいるのはとても長い。
要は「筋肉をつけて基礎代謝」を上げて行かないと、脂肪は増える一方なようだ。ということは、You Tube先生とのお付き合いはこの先ずっと続けなければならないらしい。何ということだ。
長女の方向音痴はひどかった。どんなに余裕をもっていかせても、模試や特別授業に遅刻したこと数回。受験本番で何が起こるかわからないから「予行練習」として迷子を経験した成果は?!
7歳の時に英語圏の国へ引っ越した。3か月ほど地下鉄で1時間ほどの学校へ母の送迎の元通っていたのだが、ある日学校を脱走して一人で家に帰ろうとしたのだが。。。
私は毎日保育園に次女を迎えに行ってから帰宅するのだが、長女は「保育園を出るときに連絡を入れて」と言う。そのタイミングで風呂を沸かすらしい。連絡を入れ忘れると「何で連絡をくれなかったの!」と叱られる。新婚夫婦のようなやりとりだ。帰ると、風呂は沸き、洗濯物は畳んであり、米はといである。本当に助かる。できた子だ。
びっくりした学校での出来事。私は自分が海外に行っていた8年の間に日本の教育は様変わりしたのかと思った。もう時効だからいいよね。
私は毎日保育園に次女を迎えに行ってから帰宅するのだが、長女は「保育園を出るときに連絡を入れて」と言う。そのタイミングで風呂を沸かすらしい。連絡を入れ忘れると「何で連絡をくれなかったの!」と叱られる。新婚夫婦のようなやりとりだ。帰ると、風呂は沸き、洗濯物は畳んであり、米はといである。本当に助かる。できた子だ。
長女は次女が生まれた瞬間から、どこで知ったのか自分のことを「お姉ちゃん」と呼び(親は呼ばないのに)、泣けば話しかけ、あやし、寝かしつけ、ご飯を食べさせ、泳ぎを教え、自転車を教え、字を教えた。
「ありがとう、ママ助かっちゃう。」は魔法の言葉だった。本当に良くお手伝いをしてくれた。過去形だけれど。今や実家に帰ってくると「ゲストだから」とわけわからないことを言う20歳になっていやがる。成長とはそういうものだ。いつまでもピュアなわけはない。
呪文のように「キキみたいに13歳になったら独り立ちするんだよ」「料理も掃除も出来ないと、キキになれないよ」と二人の娘に言い聞かせ、生活に必要な知識と技能を叩き込んだ。「魔女の宅急便」を読み聞かせる度に、キキを称賛し崇め、失敗したときも、辛いときも、嬉しいときも、悲しいときも人との関係を大切に工夫して生きていくキキの物語を子供たちの将来と重ねた。
鉄鍋、鉄のフライパン、鉄瓶。毎日使っているだけで、鉄分が取れる。毎年の健康診断で明らかにヘモグロビン値が改善されている。美味しく食べて健康になれるのが一番。
あれば便利な様々な家電。でもなければないで、すっきりと快適に過ごせる。炊飯器、電子レンジ、掃除機。物を減らしたり、文明の利器にお世話にならないことって、きっと考え方を少し変えることなのだろう。携帯がなくても生きていけるもんな、実際。だってなかったもん、25年前は。どれか手放してみるのも悪くない。
手足の長い長身女性が好き。捻挫して足首が腫れ上がることも度々。。。理想は遠い
旬の魚をみつけるとテンションが上がる。丸ごと一尾捌くのが好きだ。鮮度もコスパも良いし。慣れれば簡単。捌かなくていい魚介はありがたい。
年頃でも歳をとっても痩せたいのは女子/女性の願い。でも痩せるのにもタイミングがあるし、元気に食べながら上手く調整できるのが一番。
このご時世、Wi-Fiがつながらないとすごく困る
タイムカプセルみたいな面白さ。忘れたころにやってくる美味しくて楽しいプレゼント。
大海原で生命の危機
相手や自分の気持ちに合う便箋やペンを選んで、自分の言葉を綴るのもたまにはいい
寄生し始めた浮き輪を駆除できたのか、大親友との別れが必要なのか、それとも浮き輪と共存か
ワンオペとは上手いこと言うもんだ。
何であんなにこだわっていたのだろう。と、過去を振り返って頑張りすぎたり、固執しすぎたりした経験って誰しもあるのではないか。
身体は正直である。あなたではなく、身体は。
人生の岐路に立たされている。究極の選択を迫られている。このまま一生「浮き輪」とともに生きていくか。30年来の友を捨てるか。
親の料理にケチをつけた行く末は