「あの頃おかしかったな。普通ではない状態だったのだな。」と自覚したのは、そう言う考えが頭に浮かばなくなってからだ。今考えると、ちょっと怖い。子育て、仕事、これからの人生、色んなことを抱えて、考えて、どこかとても疲れていたのだと思う。

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「あの頃おかしかったな。普通ではない状態だったのだな。」と自覚したのは、そう言う考えが頭に浮かばなくなってからだ。今考えると、ちょっと怖い。子育て、仕事、これからの人生、色んなことを抱えて、考えて、どこかとても疲れていたのだと思う。
「頑張る」という言葉が嫌いなわけではないし、自分に対しては割と良く使う言葉だ。自己満足なのだろうが、「頑張っている自分」「一生懸命な自分」「挑戦する自分」は好きだ。でも、それと同時に「そういう自分」を自分の理想に掲げて、自分を追い詰めることは多い。自己実現をするために、満足感を得るために、「頑張る自分」を応援して「このくらいは出来なくては」と、気付かないうちに自分を追い詰める。だから、人に「頑張れ」という言葉を使う時は非常に慎重だ。その言葉を選ばないようにしている。
目的地の駅から300mほど進んだところで、私は「ここで折り返さないの?」と聞いたら、夫はシレっと「次の駅まで行く」と言う。そうそう、こういう人だった。理系の仕事をしているとは思えないほどアバウトなのだ。そして、次の瞬間「ここからトイレがないから大丈夫?」と聞く。
「田んぼと電車が一緒に見える絶景スポットがあるから」と夫が言う。8月最後の土曜日に行こうというのだ。その前に次女が夫の家の近くにある美術館が良いらしいと言っていて、「美術館でも行こうかな」と私が言っていたので、「美術館でも良いよ」と小さい声で付け足すように言う。そして、いかに田んぼと電車のコラボが素晴らしいか珍しく口数が多い。猛烈にプッシュしてくる。「別に美術館でもいいけれど」とボソッと付け足す。
全く痩せない。痩せるどころか、気を付けているつもりなのに、ちょっと気を緩めるとすぐ肉が付く。約1年前にも同じようなことを書いていて、色んな策を講じているのだが、2歩進んで2歩半は後退しているような。。。3歩は進んで欲しい。実際のところは一進一退。泣けてくる。
満月の前日、日が沈む直前、低いところに月があり、とても大きくきれいだった。植木に水やりをしようとベランダに出たとき、大きな月が目に飛び込んできた。手が届きそうなところにあった。
腰にベルトをして犬を繋いで、犬と一緒に走っている人がいた。私が走っていると別の道から出てきて私の前を走って行った。ランナーの女性はトライアスロンでもしているのかな?という感じの、がっしりとした人で足も速そうであった。
メインのラニングコースがいくつかある。夏になると日陰になるコースを選ぶので若干変わるのだが、朝ランニング以外は、ランニング後に寄るスーパーによってコースを決めることが多い。
その一番走っているコースの途中に枇杷の木がある。ここ数週間実がたわわで、「収穫しないのかな」「もったいないな」「でもかなり高い位置に実がなっているな」と思いながら、通り過ぎている。
3月から休校になり、友達にも会えず、次女は不貞腐れていた。不貞腐れていたので、部屋の中で彼女と一緒に、リコーダーのアンサンブルをしたり、スポンジテニスをしたり、トリコダンスを踊ったりした。
別に急いでいるわけでもないのだが、待つのが好きではない。特に大都会のスクランブル交差点はタイミングが悪いとやたら待つ。その待つ時間がもったいないように感じてしまうのだ。そのうち、家の近所だろうが、田舎だろうが、「青信号=走る」という方程式が脳と身体に染みついてしまったのだ。
美しい。颯爽と走る姿がとにかく美しい。かっこいいとかたくましいではなく「美しい」。手入れの行き届いたボディ、つぶらな瞳、そして走るフォーム、全てが美しい。
ここ7年以上髪は伸ばしていない。長い髪は結んでしまえば楽だったし、髪形を変えれば気分転換になるので、昔は割と好んで長い髪にしていた。だがこの7年ほど理由は色々とあるけれども、ずっと短い。髪を洗うのも乾かすのも楽だし。
要は「筋肉をつけて基礎代謝」を上げて行かないと、脂肪は増える一方なようだ。ということは、You Tube先生とのお付き合いはこの先ずっと続けなければならないらしい。何ということだ。
何であんなにこだわっていたのだろう。と、過去を振り返って頑張りすぎたり、固執しすぎたりした経験って誰しもあるのではないか。
身体は正直である。あなたではなく、身体は。
人生の岐路に立たされている。究極の選択を迫られている。このまま一生「浮き輪」とともに生きていくか。30年来の友を捨てるか。