老眼が始まって3年弱。コンタクトレンズを装着していると、とにかく近くの物が見えない。すっごーーーく離してやっと見える。子供たちがi-Phoneの画面を見せてくれる時なんて一番困る。画面は小さいし、文字も小さい。子供って親に優しくない。まぁ自分もそうだけれども。

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老眼が始まって3年弱。コンタクトレンズを装着していると、とにかく近くの物が見えない。すっごーーーく離してやっと見える。子供たちがi-Phoneの画面を見せてくれる時なんて一番困る。画面は小さいし、文字も小さい。子供って親に優しくない。まぁ自分もそうだけれども。
ハローウィンが終わり、11月に入ると街は一気にクリスマスモードになる。「あぁー、クリスマスの飾りつけしないとなぁ」と「めんどくさい病」にかかってしまう。子供たちが小さい頃は、飾るととても喜ぶので、大きめのツリーやパテストリー、ぬいぐるみも数えきれないくらいあって、そういうものを面倒くさがらずにせっせと出して飾っていた。
東京Officeに出社するのに帰ってきた夫。先日、娘との野球観戦、私たちと一緒に見に行きたいというから連れて行ったら、久しぶりの満員電車に「人が多い」だとか「電車が混み過ぎる」だとか、とにかく面倒くさい。誰も誘っていないし、神宮球場なんて都会のど真ん中、人が多いに決まっている。気付けばA国・B国も含めてもう18年くらい、満員電車とは無縁の暮らしをしている。海外では運転手さんに送迎してもらっていた。B国から帰国して8年半、今の土地で単身赴任をしており、コロナになって地元のオフィスにも時々しか出社していない。もうすっかり田舎者だ。
長女が400字の自己紹介文を書いて4月から入社予定の会社に提出しなければならないと言う。「400字も何を自己紹介すればいいのやら、、、」とブツブツと言っていた。ふざけて「書いてあげようか?私(母)が書いたのを自分で加筆修正すれば良いじゃない?」なんて言ったが、確かに400字の自己紹介文、しかもクラスやサークル・部活ではなくて、「これから働く会社」に提出する文章って、ちょっとハードルが高い気もする。(この自己紹介文で配属先に影響はないとのこと)
夫は入社当初から今もずっとSE(System Engineer)の仕事をしている。彼が新卒で研修が終わってから結婚して、長女が生まれているのだが、入社して半年後には終電で帰ってくればいい方で、始発で帰って来て仮眠をとって定時に出社というのがスタンダードだった。
「あの頃おかしかったな。普通ではない状態だったのだな。」と自覚したのは、そう言う考えが頭に浮かばなくなってからだ。今考えると、ちょっと怖い。子育て、仕事、これからの人生、色んなことを抱えて、考えて、どこかとても疲れていたのだと思う。
「頑張る」という言葉が嫌いなわけではないし、自分に対しては割と良く使う言葉だ。自己満足なのだろうが、「頑張っている自分」「一生懸命な自分」「挑戦する自分」は好きだ。でも、それと同時に「そういう自分」を自分の理想に掲げて、自分を追い詰めることは多い。自己実現をするために、満足感を得るために、「頑張る自分」を応援して「このくらいは出来なくては」と、気付かないうちに自分を追い詰める。だから、人に「頑張れ」という言葉を使う時は非常に慎重だ。その言葉を選ばないようにしている。
用事を済ませた後に、子供たちと移動して中華街へ。休日の中華街はアミューズメントパーク。激混みで、お腹もすいていて、写真は一枚も撮っていない。焼き小籠包(王府井)・上海小籠包(鵬天閣)・サンザシ(お菓子)と食べ歩き、次女はタイムアップでお別れし、長女とシウマイとエビ豚ワンタン(清風桜)を食べた。王道のラインナップも中々良い。ビールも沢山飲んだ。
A国とB国に住んでいたとき、駐妻の中には美容院はもちろんのこと、エステやネイルなど、あらゆる「美」が大好きな人が結構いた(一杯?)いつもきれいにしているそのマダムの一人に、「面倒だ」という話をしたら、心底驚かれた。「日本より物価が安く、破格値でそう言ったサービスを受けられ、家事や育児はお手伝いさんがやってくれるので、たっぷりと時間があるのに、やらないなんてもったいない!」と。
その一番大きい胃腸痙攣のあとは、とにかく細心の注意を払って、お守りにしている漢方薬もひどくなる前に服用した。B 国にも慣れ仕事も始め、胃腸痙攣は年に1回2日間で治まるくらいになっていた。
久しぶりにやってきた。1年以上順調だったから油断していた。出会い?は高校2年生。それから、定期的に訪れるこの胃腸痙攣。
病院へ16年以上行っていない。整形外科に数回程度で、家族もそうだ。薬も飲まない。インフルエンザのワクチンも打たない。子供たちは15歳の受験のときの1回打っただけで、夫や私は打ったことがない。
最初の緊急事態宣言が明けた6月、次女はまだ週2短縮授業登校でほとんど家にいて、こっちで1週間ほど在宅ワークをしていた夫と過ごしていた。私が仕事から帰宅すると、「パパ、きちんと仕事していたよ。真面目にやっていた。きちんと仕事の人と話もしていた。」と真っ先に報告してくる。
下の子が10か月くらいのころから夫は単身赴任だった。次女も保育園に入れて復職した数か月後、ある日次女が急に発熱したのだが、どうしても外せない仕事があった。困っている私を助けてくれたのが、今も仲良しのKちゃんである。彼女は二人目の子の育児休暇中で、子供たちを連れてうちに来て数時間娘を看てくれた。
文字とは面白いもので、実際に会って話すのと文字の世界だと全く違う人がいる。電話での会話と会って話すのとでも違う人もいる。
重い腰を上げて、天袋からクリスマスグッズを出して飾った。飾ればやっぱり華やかだし、可愛いし、でも年末の忙しいときに片付けることを考えるとちょっと滅入る。こんなところにも「年齢」はじわじわと出てくるのかとしみじみと思う。
「新しい会社を立ち上げる」と大学のグループメールにメンバーの一人から近況が入った。8年くらい前だろうか。彼は大学卒業後、第一志望の企業に就職し、希望のクリエイティブ職に従事していた。そしてその勤務先が出資する会社の代表になるということだった。
私は毎日保育園に次女を迎えに行ってから帰宅するのだが、長女は「保育園を出るときに連絡を入れて」と言う。そのタイミングで風呂を沸かすらしい。連絡を入れ忘れると「何で連絡をくれなかったの!」と叱られる。新婚夫婦のようなやりとりだ。帰ると、風呂は沸き、洗濯物は畳んであり、米はといである。本当に助かる。できた子だ。
寄生し始めた浮き輪を駆除できたのか、大親友との別れが必要なのか、それとも浮き輪と共存か
ワンオペとは上手いこと言うもんだ。