先日、うちの近所はお祭りだったのだが、如何せん日中の気温が37-38度。夕方になっても西日の強い日差しが照り付ける。朝ランニングしてシャワーを浴びて、祭りか、、、と思っていたら、友人からお誘いが。

healthy, yummy, easy and gorgeous
先日、うちの近所はお祭りだったのだが、如何せん日中の気温が37-38度。夕方になっても西日の強い日差しが照り付ける。朝ランニングしてシャワーを浴びて、祭りか、、、と思っていたら、友人からお誘いが。
夫は「作って気に入った料理は、飽きるまで毎日のように作って食べる。」みたいなことを言っていた。麻婆豆腐ブームだったり、炒飯ブームだったり、ナポリタンブームだったり。私はさすがに毎日同じものは作らないし食べない。飽きるからというより、栄養のバランスが気になって仕方がない。次女はコロナの時、毎日のようにタピオカミルクティーとダルゴナコーヒーを作っていたような。マシュマロトーストのときもあったな。
大学1年で一人暮らしを始め、家を出て行った。まだ文字も読めるか読めないかの時から、「魔女の宅急便」の読み聞かせをし、繰り返し「○○(長女)もcocco(次女)も13歳になったら、キキみたいに独り立ちしないといけないんだよ」「洗濯も掃除も料理も、何でも自分で出来ないといけないんだよ」と育て、予定通り18歳で家を出た。
「カバンの中・引き出しの中・部屋の中」=「頭の中・心の中」と言われるのを時々見かける。全部が正解だと思わないが、あながち間違っていない。整理整頓も「運動神経」「芸術センス」「偏差値」などと同じように、能力の一部だと思うので、整理整頓が上手な人は「センス・能力がある」とも思っている。
先週入寮を済ませ、無事卒業式も終わり、来月から社会人となる娘。寮に入らない荷物がうちに来たので、また家の中を整理しないといけない。つい数日前まで、髪飾りやネイル、そしてスーツ・カバン・アクセサリー・時計など私の物をアレコレごっそり娘が持って行き、その準備に追われていた。引越しも卒業式も無事終了したら、なんだかぽっかり。
今月末が長女の大学の卒業式。前回の試作品は、買って来たネイルチップをあまり加工せずに作ったので、今回は手のサイズが一緒の私の爪の大きさにチップをトリミングして作ってみた。
私の友人のスイーツセレクトはいつも素晴らしい。親しい人は私が甘党ではないことを良く知っているし、同時に子供たちがスイーツ好きなこともよぉーーーく知っている。だから、手土産に日持ちするスイーツをくれることが多い。そして、みんなとてもセンスが良い。
卒業旅行へ出発した娘。出発前にスマホを見ながら、しみじみと「本当にマメだなぁー」と言う。「何が?」と聞いたら、一緒に行くメンバーの一人が「旅の日程」をまとめて、みんなに送ってくれたそうだ。大学生が数週間の旅行日程をどのようにまとめるのだろうかと思って、娘にファイルを見せてもらった。
諸事情で卒業旅行に出発する前の数日間、長女がうちにいる。年末年始からおでんが食べたい!と言っていた。おでんなんて一人暮らしで作る料理ではないし、こうも寒いとやっぱりカセットコンロを使うメニューが恋しくなる。
結婚前は出窓やベランダに、複数のハーブや観葉植物を育てる生活をしていた。家事育児に仕事と目まぐるしく過ごしているうちに、観葉植物が辛うじて育てられるくらいになってしまった。
1月ももうあと1日で終わり。1年の12分の1があっという間に過ぎて行く。1か月前はお節料理作りで台所に缶詰めになりながら、高校サッカーを見ていたのに。そして後2か月したら長女は卒業式で、卒業式の数日後に社会人になる。こうやって時間は過ぎて行く。
この間作ったネイルアート(と呼べるほどでもないが)で使ったグッズを紹介。初心者用であまりコストをかけずに、このくらいあれば、↓くらいのネイルが作れるというアイテム。家にあったものと、100円ショップで買いそろえたものを使ったのだが、買ったものは税抜き700円分。
先日親友の娘の成人式のネイルを見て、ネイルアート、やったことがないけれども面白そうだなぁーと思っていた。長女の卒業式が近いので作ってみたいと思った。だが、私自身は料理をするためネイルはしないので、あまりネイルグッズを揃えたくない。子供たちと一緒に住んでいれば、色んな色のマニキュアグッズがあるのだが、こういうとき離れて暮らしているのは不便だ。と思いつつ、どうしてもやってみたくて、最低限?の出費で試作品を作ってみた。
昨年次女が大学生になって家族全員一人暮らしとなり、今年の4月から長女は社会人。次女の学費と一人暮らし費用という点ではあと3年はガッツリと頑張って働かないといけないのだが、もう子育てが終わっているので、しっかりと次の自分のステージについて考えないといけない。
前撮りと本番と2回着て写真を撮ったというので、ヘアアレンジも帯の結び方も違う。さすがだなぁー。次女の時はやはりプロに頼むべきか、、、そんなことも考えた。Yの家の帯は柄が多いのだが、プロの技術。きちんとリボンのところに柄がくっきり映えるように仕立てている。
アメリカへ家族旅行をしてきた友達がお土産をくれた。先月のNBA、Saturday Nightに招待してくれた上に、素敵なお土産まで持って来てくれ、この円安の中本当に感謝である。彼女のお土産セレクトはいつも素晴らしい。そして、今回はなかなか面白いセレクト。お土産の楽しいところは、自分の好みのものをセレクトして来てくれたり、逆に自分ではなかなか手に取らないものを買って来てくれたりするところ。お菓子は長女がネパールから帰って来てから開封して一緒に食べた。さて、お味は?
「あの頃おかしかったな。普通ではない状態だったのだな。」と自覚したのは、そう言う考えが頭に浮かばなくなってからだ。今考えると、ちょっと怖い。子育て、仕事、これからの人生、色んなことを抱えて、考えて、どこかとても疲れていたのだと思う。
「頑張る」という言葉が嫌いなわけではないし、自分に対しては割と良く使う言葉だ。自己満足なのだろうが、「頑張っている自分」「一生懸命な自分」「挑戦する自分」は好きだ。でも、それと同時に「そういう自分」を自分の理想に掲げて、自分を追い詰めることは多い。自己実現をするために、満足感を得るために、「頑張る自分」を応援して「このくらいは出来なくては」と、気付かないうちに自分を追い詰める。だから、人に「頑張れ」という言葉を使う時は非常に慎重だ。その言葉を選ばないようにしている。
この間の週末から始まった。何が始まったかというと、高校サッカー選手権の地区大会決勝である。土曜日の秋田県は雷の悪天候で火曜日に延期。日曜日の北海道決勝は大接戦だった。例によって、「もう両方勝って欲しい」とわけのわからない思考になってしまう。この地区決勝を全部見ると大変なことになるのは良くわかっている。いくら時間があっても足りない。
レモン豆腐シャーベットが美味しかったので、今度は義母手作り杏ジャムを使って、豆腐シャーベットを。想像通り、杏・豆腐・クリームチーズの組み合わせが抜群である。レモンとはまた全く違う美味しさ。
去年の暮れに次女が友人の庭で穫れたレモンをもらってきた。その時レモンクッキーを作り、残りはスライスして冷凍し、大事に色んな料理やスイーツに使っている。今回はその美味しいレモン(冷凍)と豆腐で作ったシャーベット。何でこんなに簡単で美味しいものを今まで作らなかったのだろう!! と言う出来栄え。是非、試してみて。
友人が泊りに来るので、自宅に帰らせたのだが、鍵を忘れている。連絡したら、近くのスタバにいるので取りに来た。まぁせっかくのご馳走だから、食べてから帰ったら?と誘った。
サッカーへ行くために電車に乗っていると、途中の駅から乗った18.19歳くらいの男の子が隣の席に座った。しばらくするとその男の子がリュックからポップティーンを出して、ペラペラと読み始めた。
年齢とともに「面倒くさい」がドンドンと加速する。本当に腰が重い。よろしくないのは分かっていても、クリスマスグッズも、お節料理も、節分も、ひな人形を出すのも、子供たちが大きくなってしまうと億劫になる。
「coccocanの由来」でちらっと書いた、長女の幼少期の話。長女は10か月で保育園に通い始め、おしゃべりが上手になって来た2歳ちょっと前から、長女にはどうやら保育園に「やんちゃん」という仲の良いお友達がいるらしいことがわかった。
先月「あっけない」に投稿した、次女のお弁当が終わったことを告げたが、正月休みに次女がボロッと「お弁当まだ終わりじゃないみたい」と言い出す。
オリンピックで覚えた複数画面での試合観戦もすっかりおなじみになったが、地区大会決勝の「4画面」は今一だったので、選手権は2画面で観戦。ユニフォームの色が同じではない限り、2画面なら結構イケる。
一緒にミュージアムへ行った大学からの友人Yは、今はもうすっかり飲み友達である。というと、ちょっと誤解があるのだが、共通点がいくつかある。
歌舞伎劇場とともにお目当てだった、昨年の紅白歌合戦で見た本棚劇場は、友人Yと「思ったより小さいね」と言うほど、あまり広くはない。天井が高く縦に空間がある。戦後の出版業界を支えて来たであろう名だたる大御所作家の本がずらっーーーと並んでいる。書籍も音楽もWeb時代になった今、これだけの数の自分の作品が「本」という形で世に出ることはこれからあるのだろうか。
もちろん、我が家の家庭菜園ではない。子供が学校の友達からレモンをもらって帰って来た。大きな立派なレモンを二つ。家の庭で穫れたレモンとのこと。そんなありがたい家庭菜園のレモンは、去年のライムクッキーが美味しかったのでクッキーに。そういえば、去年は学校の家庭科でもらって来たレモンをケーキにした。レモンに縁があるのか、うちの娘は?どういう縁だ???
最初に入ったのがこの「浮世絵劇場」である。他のプロジェクションマッピングはTVで色々と見たこともあるし、簡単なものなら街中でもチラッと見かけることはあった。でもこのイベントは「劇場」と書いてあるだけあって、自分が作品の中に入る。立っているだけで、自分が動いているような感覚になるし、押し寄せてくる波に足元からさらわれるのではないか、迫って来る魚に襲われるのではないか、、、という臨場感を味わえる。
我が子たちはインターナショナルスクールに通っていて、英国人の先生も多く、「after you文化」で育った。特にQueen‘s Englishで発音される「after you」が私たち3人のお気に入りで、一時期如何に「粋に」英国紳士っぽく「after you」が言えるかという練習?をし、「after youごっこ」が家で流行った。マンションの入り口も、家の玄関も、トイレや風呂も何でも「after you」。動作までつけて、しっかりと紳士になりきる。
子供たちは保育園育ちではあるが、海外でインターに通っていたので、かなり長いことお弁当生活をしていた。2人同時に給食で楽だったのはたったの3年ちょっとで、ずっとお弁当を作っていたのに、こんなにあっけなく終わってしまった。
長女の幼馴染のTは、電車が大好きだった。二人が4・5か月くらいからの付き合いなのだが、電車が見えるうちのマンションに来ると、Tは上機嫌だった。幸い都心部なので、電車が多いと2-3分、昼間でも7-8分に1本は通る。
余裕がないのに?ないから?リフレッシュしたくて、敬老の日の昨日は朝4時半に起きて、お弁当を作り、朝ごはんを軽く食べてサッカーへ行った。帰宅してから筋肉痛の体に鞭打って、あれこれとやっていたのだが、とても疲れてしまってなんと20時前には起きていられなく、気を失うように眠りについた。
私たちは高山病にならないように8.5合目の辺りで一泊し、早朝に宿を出て登っている途中でご来光を見た。行きは山梨側から登り、帰りは夫の家へ行くのに御殿場側へ下山した。登りより遥かに下りが辛く、普段ランニングもサッカーもしているが膝がカクカクした。さすが18歳の現役高校生男子たち。呼吸は多少苦しくなったらしいが、難なく下山し翌日もぴんぴんだったらしい。回復力が違う。
9月も1週間を過ぎた頃、最後の高校生活なのに次女が「家に早く帰りたいんだよね」と言う。0歳児の保育園から始まって、「家に早く帰りたい」と言うなど初めてのことだ。長女もそんなことを言ったことはない。そう言えば、夏休みが終わる前も「学校始まるのめんどうくさい」と言っていた。
「浴衣、去年着なかったなぁ~。今年も着ることないか。。。」と次女が言った。「昔とった杵柄」にも書いたが、長女は浴衣でリレーさせられた経験が理由なのか、帰国してから一度も浴衣を着たがらなかったが、次女は違う。近所のお祭りに着て行く。浴衣って着せるのも簡単で可愛い。
3月から休校になり、友達にも会えず、次女は不貞腐れていた。不貞腐れていたので、部屋の中で彼女と一緒に、リコーダーのアンサンブルをしたり、スポンジテニスをしたり、トリコダンスを踊ったりした。
写真を見せると「覚えている」と言った。いや、言いやがった。「思い出した」が正解だ。写真とは色んな意味ですごい(怖い)笑
変な夢をみて目が覚めた。目が覚めてその続きの物語を考えた。朝食と弁当の支度をしなくてはならない朝の貴重な時間なのに、5分ほど夢の続きを空想した。
下の子が10か月くらいのころから夫は単身赴任だった。次女も保育園に入れて復職した数か月後、ある日次女が急に発熱したのだが、どうしても外せない仕事があった。困っている私を助けてくれたのが、今も仲良しのKちゃんである。彼女は二人目の子の育児休暇中で、子供たちを連れてうちに来て数時間娘を看てくれた。
同級生とは不思議で特別なものだ。「不思議で特別」と思えるのは、もうそれだけ長い月日が流れたということなのだろう。その出会ってからもうすぐ30年という月日の中で変わったものも失ったものも沢山あるけれども、それでもちょっと一緒にいればなんとなく昔に戻れる。戻れない昔に戻れる気がするから「不思議で特別」なのだろうか。
終わってしまった。図々しい話だが、当事者どころか関係者でもなく、ただの「観戦者」にもかかわらず、一連の試合の高揚感とすべての日程が終了した脱力感に包まれている。
それにしても成人式で市長が何を話したか、会場の中に入ったかどうかさえ記憶がない。(会場へは行った。それは覚えている。)地元を離れて大学生活を送っていたので、久しぶりに会う友達が多くておしゃべりに花が咲き、それぞれの華やかな着物を褒めあったことくらいしか覚えていない。反感を承知で言えば成人式という名のただの「同窓会」である。1月でなくても、また別の機会に集まればいいのかもしれない。
寄生し始めた浮き輪を駆除できたのか、大親友との別れが必要なのか、それとも浮き輪と共存か
ワンオペとは上手いこと言うもんだ。
人生の岐路に立たされている。究極の選択を迫られている。このまま一生「浮き輪」とともに生きていくか。30年来の友を捨てるか。