Come back 8歳の頃の長女

A国から帰国し、B国へ行くまで11か月ほど日本で過ごした。夫は日本の別の場所で単身赴任だった。私はそんなに早くすぐにまた海外に行くとも思っていなかったし、なんと言っても働きたかったので就職活動をして、次女は保育園に入れたので良かったのだが、長女は学童へは行かなかった。

彼女はクラブのない日に学校から帰ると、順番はわからないが結構なタスクをこなしていた。

  • おやつを食べる
  • 遊びに行く(天気が良ければ外に)
  • 洗濯物を取り込んで畳む
  • 風呂掃除をする
  • 宿題をする
  • 米をとぐ

そしてさらにルールを設けていた。

  1. 親(私)の許可なくして、友達の家に行ってはいけない
  2. 親のいない時に友達を家に入れてはいけない
  3. TV・DVDは1日30分まで

近くに図書館と児童館があったので、月曜日でなければそこで遊んだりすることも出来、それなりに過ごしていたのだろう。だが、「TV・DVD30分」をしっかりと守っていた彼女は日が暮れるのが早くなると、ラジカセが欲しいと言った。音が欲しいと。何とも真面目な子だった。誰の子だろう。と同時に、音もなく、淋しい思いをさせていたことを私は反省した。

私は毎日保育園に次女を迎えに行ってから帰宅するのだが、長女は「保育園を出るときに連絡を入れて」と言う。そのタイミングで風呂を沸かすらしい。連絡を入れ忘れると「何で連絡をくれなかったの!」と叱られる。新婚夫婦のようなやりとりだ。帰ると、風呂は沸き、洗濯物は畳んであり、米はといである。本当に助かる。できた子だ。

淋しい思いをさせながらも、なんとか親子3人というか、長女の協力のもと働いていたのだが、冬になって忘れていた日本の学校のシステムが到来した。そう「学級閉鎖」だ。3日間だったか、1週間だったかもう忘れたが、働く親にとっては悪魔のようなこのシステム。バリバリ健康な子供が学校に行けない。仕事も休めない。おそらく時間を持て余すであろう彼女に私は「火は絶対に使ってはいけない」と言い、近所の八百屋への買い物と、夕食の下ごしらえを頼んだ。

それでも数日は学校へ行けないので、相当時間が余っていたのだろう。家に帰ると、「ママ、ママ、見て」という。ピカピカになっていた。台所と風呂場の排水溝が。「大変だったんだから」と。驚くほどきれいになっていたのだが、それ以上に排水溝をきれいにしようと思った彼女にびっくりした。なんて気の利く子なのだろう。

この頃を境に「良い子だったピーク」は過ぎ、手を抜くことも、適当にごまかすことも、まぁ当たり前だが色々と覚えていき、もうあの頃の姿はないと言って過言ではない。いつまでも続くわけがない。

私のことを「なんでも片付ける、なんでも捨てる、細かすぎる」という娘たち。長女はもう家を出て行ったので、自分の基準の「きれい」な生活をしていたり、していなかったり。そして、実家に帰ってくれば「ゲストモード」。もう二度と戻ってこないかつての日々を振り返り、小3の頃の長女を懐かしむ。