ずっと欲しかった、卵焼きだけを焼くフライパンを買った。銅のモノにしようか、鉄のモノにしようか、でもモノを増やすのもなぁーと、何年も(本当に何年も)考え、定期的に来る「やっぱり欲しい!」をやり過ごしながら来たのだが、2月の中旬に終に買った。

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ずっと欲しかった、卵焼きだけを焼くフライパンを買った。銅のモノにしようか、鉄のモノにしようか、でもモノを増やすのもなぁーと、何年も(本当に何年も)考え、定期的に来る「やっぱり欲しい!」をやり過ごしながら来たのだが、2月の中旬に終に買った。
就職して数年目、私がまだ独身の頃。独り暮らしの私が、どうして父と丸の内・銀座界隈で飲むことになったのか覚えていないのだが、仕事帰りに父の行きつけの丸の内の店で待ち合わせをした。
長女が山形牛・刺身・里芋を食べに帰ってきた。「○○、作ったけれども食べる?」と誘うとホイホイとやってくる。たらふく食べた次の日に帰るはずだったのに、電車が結構長い時間止まっていて帰れない。帰宅するのに、かなり迂回しなければならず、PCを持ってきているからと泊っていくことになった。
「令和」の年号が発表された日のことは鮮明に覚えている。その日は長女の大学の入学式だった。大学の入学式に親が行くの?とは思ったが、長女の大学の近くには桜の名所があって、そこも通るし、いかんせんもう長女の学校行事に行くのはこれが最後だ。
海外での生活はどんなに楽しくても、永住しない限り必ず別れが来る。Yが本国に帰国することになった。彼が当時使っていたSMSやe-mailアドレスはA国を出国する前にもう使えなくなる。当然Yの本国での連絡先など明かされるわけがない。永遠の別れだ。連絡を取る手段もないし、互いに会いに行く方法もない。近況を聞くことも、彼の成長を知ることもない。私たちは誰も。
A国にいたときに大学に通っていたのだが、そこには色んな人がいた。国籍も年齢も性別も様々で、文化や習慣が違っていて大学の勉強以上に学ぶことが多かった。あるタームに日本とは国交のない国の16歳のY青年とクラスメイトになった。当時私は30代前半。倍ほども歳が違うクラスメイト。彼が一緒だった時のメンバーは、彼がダントツ若かったのだが、10代から70代まで各世代が一人二人いるようなクラスだった。
別に急いでいるわけでもないのだが、待つのが好きではない。特に大都会のスクランブル交差点はタイミングが悪いとやたら待つ。その待つ時間がもったいないように感じてしまうのだ。そのうち、家の近所だろうが、田舎だろうが、「青信号=走る」という方程式が脳と身体に染みついてしまったのだ。
写真を見せると「覚えている」と言った。いや、言いやがった。「思い出した」が正解だ。写真とは色んな意味ですごい(怖い)笑