適性
東京Officeに出社するのに帰ってきた夫。先日、娘との野球観戦、私たちと一緒に見に行きたいというから連れて行ったら、久しぶりの満員電車に「人が多い」だとか「どこも混み過ぎている」だとか、とにかく面倒くさい。誰も誘っていないし、神宮球場なんて都会のど真ん中、人が多いに決まっている。気付けばA国・B国も含めてもう18年くらい、満員電車とは無縁の暮らしをしている夫。海外では運転手さんに送迎してもらっていたし。B国から帰国して8年半、今の土地で単身赴任をしており、コロナになって地元のオフィスにも時々しか出社していない。もうすっかり田舎者だ。
久しぶりの東京Officeへはラッシュアワーを避けて出社した。賢明な判断だ。会社から帰って来ると、Officeの最寄り駅が昔と随分と変わってきれいになったと言う。その最寄り駅は私にとってあまり馴染みのない場所なので「ふーん、元の街の姿をあまり知らないけれども、再開発したんだね」と相槌を打った。今度は「都会のオフィスはすごいねぇー」と言う。この言葉だけで「何がすごいのか想像しろ」と言うのは随分と横柄である。この会話続けないといけない?と心の中で思ったが、ここで「ふーん、そうなんだ。」と返してしまったら会話が終わってしまう。仕方がないので、「どうすごいの?」と5歳児に聞くように優しく聞き返した。でも夫は「すごいんだよ」しか言わない。今どきの5歳児の方が巧みな会話をするに違いない。
夫が“すごい”と言っているのはきっと、「洗練された、お洒落であか抜けた、ドラマにでも出て来そうなオフィス空間」を指しているのだろうと思った。しかしながら、40半ばの大人として、この語彙力はいただけない。常に先回りして、彼の言いたいことを察して、彼よりも先に言語化して来た私の責任だ。心を鬼にして?根気よく?「『建物が新しく機能的で“すごい”』とか『○○の設備が整っていて“すごい”』とか、具体的に言わないと、何がすごいのか伝わらないよ」と少し呆れた口調で言ってみた。すると「くつろげるところがあった」と言うので、「あぁーリラクゼーションスペースね。テーブルと椅子だけではなく、ビーズクッションやソファもあった?」と会話を続けた。
彼の仕事はコンピュータ言語を用いてプログラミングすることである。外国語どころか、母国語ですら怪しくても、コンピュータとの対話はすこぶる上手らしい。小さい頃、若い頃から自分の得手不得手、特技・能力を考えて、語学という言語ではなく、コンピュータという言語の道を選んで進んできている。
自分の適性を見極める。きっと人生で一番重要なことかもしれない。
