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たけのこの記憶 ~GW 春ピクニック~

2021年の今年、大学生の長女は家でたけのこ料理はしなかった。せっかく圧力鍋を持たせているのに。でも、まぁ私も大学生の頃はさすがに作らなかったから、、、と前の「追いたけのこ」の記事にも書いたがこれには続きがある。

夫とこの会話をしていたら、夫はしれっとこう言った。「えっ?結婚前作っていた?」正確には「言いやがった」。私はすかさず「食べたじゃない」と言った。もう20年以上前の記憶で“誰か”と間違えている可能性も否定できないのだが笑、ブログを始めて過去の写真をほじくり返すことが多く、結婚前に夫とピクニックをしている写真が残っているので、割と記憶に自信が持てた。が、ピクニックをした写真の残像はあるものの、そこにたけのこが確実に入っていたかは定かではない。しかしながら、写真を確かめると凝ってはいないが、なかなか豪華なお弁当だ。

・たけのこご飯(菜の花添え)/もしくはたけのこ寿司?

・たけのこのおかか煮

・お煮しめ

・青菜のお浸し

・鶏のから揚げ(きゅうりとミニトマト)

・ちくわときゅうり

・卵焼き

・いちごとオレンジ

写真を見せると「覚えている」と言った。いや、言いやがった。「思い出した」が正解だ。写真とは色んな意味ですごい(怖い)笑 

このお弁当箱はコップもフォークも皿もセットになったバスケット型のもので、かなり気合を入れて料理を作らないといけない、大容量お弁当箱である。子供たちが小さいときは幾度となく活躍し、子供たちの喜ぶ顔が見たくて、気合を入れて前日から下ごしらえをした。

もっと古い記憶をたどると、父が心筋梗塞のオペで入院したとき、母は父に付きっ切りで病院の外に全く出たがらず、24時間待機・看護していた。その母のために、独り暮らしをしていた私はこの弁当箱に何種類ものおかず・ご飯・フルーツを詰めて、始発で仕事前に都心の病院へ行き、仕事帰りに弁当箱を取りに行った。それを3.4日続けた。

図太い父よりも、母の方が倒れてしまうのではないかと。せめて、三食栄養のあるものを。娘の作ったものだったら、「今日は何かな?」と少しは気が紛れるのではないかと。弁当箱は毎日きちんと空になっていた。

写真とはすごい。そこに写っているもの以上のいろんなことを蘇らせてくれる。かつて幸せの象徴だったその弁当箱はもう何年も使っていない。でも、捨てられずにいる。

もう少しだけ持っていていいだろうか。出来る限り物を減らしている私だけれども。誰に了承を得るわけでもなく、そう自分に言い訳を作って、今も大事にすぐに取り出せる場所にある。

お弁当とは私の「幸せ物語」なのだろうか。

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