他の3人がどう思っているのかはわからないが、私の中で「たこやき」は幸せな食卓の象徴。

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他の3人がどう思っているのかはわからないが、私の中で「たこやき」は幸せな食卓の象徴。

先日、いつも豆腐を買っている店で、豆腐を買うつもりはなかったのだが、何気なく陳列棚を見たら、値段はいつも通りなのだが、容量が減っている。なんと従来の20%も減量。増量ではない、減量だ。

ついこの間大学生になったと思ったら、来春はもう社会人になる次女。あと10か月で経済的にも親業を卒業する。次女の「出戻り」はなくなり、私の平和な一人暮らしは保証された。親子といえども「来てよし、帰ってよし」適度な距離が必要だ。そして、親子だからこそ「精神的、経済的、生活的自立」は我が家においては必須である。

カーテンの寿命はどのくらいなのだろう。窓際に使うものなので、カビが発生したり、ひどく汚れたりしたら取り替えるだろうが、CMで「夏用カーテン」「冬用カーテン」「気分転換に」と流れてくるが、そんな風にカーテンを買い替える人はどのくらいいるのだろうか。

師走になってしまった。毎週末パーティーだった11月。さすがになんだかとても疲れていて、ずっと後回しにしてきたのがカーテンの洗濯だ。昨日は暖かくて良い天気だったので、カーテンを洗うことにした。

久しぶりに往復はがきを見た。最後にいつ見たのかなんて、覚えていない。18歳で一人暮らしを始める前、実家にいるとき、父に届く「同窓会」の案内で往復はがきを見た記憶だろうか。

いよいよウランバートルへ。当日「もう出発した?」と連絡をしたら、フライトの時間と「今空港に向かって、電車に乗っている」という返事があった。ワクワク感が伝わってくる。

観光・旅行が戻って来た2022年度。大学4年生だった長女は、残りの単位はほとんどなく、多くの時間を旅行に費やした。これでもか!というほど国内外様々な地を満喫して卒業した。社会人となった娘は「もう当分、旅行はいいや」と言っていた。

9月の半ばだというのに最高気温は34℃前後、真夏のような湿度、無風の熱帯夜、、、7月8月に続いた猛暑日もうんざりしたが、この9月半ばの蒸し暑さには怒りすら感じる。自然相手に腹を立てても仕方がないのだが。

大学1年で一人暮らしを始め、家を出て行った。まだ文字も読めるか読めないかの時から、「魔女の宅急便」の読み聞かせをし、繰り返し「○○(長女)もcocco(次女)も13歳になったら、キキみたいに独り立ちしないといけないんだよ」「洗濯も掃除も料理も、何でも自分で出来ないといけないんだよ」と育て、予定通り18歳で家を出た。

老眼が始まって3年弱。コンタクトレンズを装着していると、とにかく近くの物が見えない。すっごーーーく離してやっと見える。子供たちがi-Phoneの画面を見せてくれる時なんて一番困る。画面は小さいし、文字も小さい。子供って親に優しくない。まぁ自分もそうだけれども。

卒業旅行へ出発した娘。出発前にスマホを見ながら、しみじみと「本当にマメだなぁー」と言う。「何が?」と聞いたら、一緒に行くメンバーの一人が「旅の日程」をまとめて、みんなに送ってくれたそうだ。大学生が数週間の旅行日程をどのようにまとめるのだろうかと思って、娘にファイルを見せてもらった。

諸事情で卒業旅行に出発する前の数日間、長女がうちにいる。年末年始からおでんが食べたい!と言っていた。おでんなんて一人暮らしで作る料理ではないし、こうも寒いとやっぱりカセットコンロを使うメニューが恋しくなる。

結婚前は出窓やベランダに、複数のハーブや観葉植物を育てる生活をしていた。家事育児に仕事と目まぐるしく過ごしているうちに、観葉植物が辛うじて育てられるくらいになってしまった。

1月ももうあと1日で終わり。1年の12分の1があっという間に過ぎて行く。1か月前はお節料理作りで台所に缶詰めになりながら、高校サッカーを見ていたのに。そして後2か月したら長女は卒業式で、卒業式の数日後に社会人になる。こうやって時間は過ぎて行く。

昨年次女が大学生になって家族全員一人暮らしとなり、今年の4月から長女は社会人。次女の学費と一人暮らし費用という点ではあと3年はガッツリと頑張って働かないといけないのだが、もう子育てが終わっているので、しっかりと次の自分のステージについて考えないといけない。

南側の部屋で仕事をしているのだが、この秋は日中半袖Tシャツで過ごす日もしばしばあったくらいで、基本的に日中は長袖Tシャツで過ごしている。太陽さえ出ていればかなり暖かく、真冬も雪さえ降らなければ暖房はいらない。

ずっと欲しかった、卵焼きだけを焼くフライパンを買った。銅のモノにしようか、鉄のモノにしようか、でもモノを増やすのもなぁーと、何年も(本当に何年も)考え、定期的に来る「やっぱり欲しい!」をやり過ごしながら来たのだが、2月の中旬に終に買った。

就職して数年目、私がまだ独身の頃。独り暮らしの私が、どうして父と丸の内・銀座界隈で飲むことになったのか覚えていないのだが、仕事帰りに父の行きつけの丸の内の店で待ち合わせをした。

長女が山形牛・刺身・里芋を食べに帰ってきた。「○○、作ったけれども食べる?」と誘うとホイホイとやってくる。たらふく食べた次の日に帰るはずだったのに、電車が結構長い時間止まっていて帰れない。帰宅するのに、かなり迂回しなければならず、PCを持ってきているからと泊っていくことになった。

「令和」の年号が発表された日のことは鮮明に覚えている。その日は長女の大学の入学式だった。大学の入学式に親が行くの?とは思ったが、長女の大学の近くには桜の名所があって、そこも通るし、いかんせんもう長女の学校行事に行くのはこれが最後だ。

海外での生活はどんなに楽しくても、永住しない限り必ず別れが来る。Yが本国に帰国することになった。彼が当時使っていたSMSやe-mailアドレスはA国を出国する前にもう使えなくなる。当然Yの本国での連絡先など明かされるわけがない。永遠の別れだ。連絡を取る手段もないし、互いに会いに行く方法もない。近況を聞くことも、彼の成長を知ることもない。私たちは誰も。

A国にいたときに大学に通っていたのだが、そこには色んな人がいた。国籍も年齢も性別も様々で、文化や習慣が違っていて大学の勉強以上に学ぶことが多かった。あるタームに日本とは国交のない国の16歳のY青年とクラスメイトになった。当時私は30代前半。倍ほども歳が違うクラスメイト。彼が一緒だった時のメンバーは、彼がダントツ若かったのだが、10代から70代まで各世代が一人二人いるようなクラスだった。

別に急いでいるわけでもないのだが、待つのが好きではない。特に大都会のスクランブル交差点はタイミングが悪いとやたら待つ。その待つ時間がもったいないように感じてしまうのだ。そのうち、家の近所だろうが、田舎だろうが、「青信号=走る」という方程式が脳と身体に染みついてしまったのだ。

写真を見せると「覚えている」と言った。いや、言いやがった。「思い出した」が正解だ。写真とは色んな意味ですごい(怖い)笑