娘は最終日に、教えていたある12歳の男子生徒から選別のプレゼントをもらった。親御さんからもご丁寧にお礼のメールまでいただいたそうで、娘はとても喜んでいた。プレゼントももちろん嬉しかったのだが、意外なことが判明したらしい。

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海外に住んでいると、修理にものすごく時間がかかることをよぉーーーーく知っている。日本のサービスの基準は世界トップクラス。そんなことを外国で期待しても無駄だし、一番労力を使わず、互いにハッピーな策を考えるのが一番。

絶賛就職活動中の長女。企業に出すエントリーシートをせっせと書いている。企業に提出して人様に読んでもらうものだから、必ず誰かにダブルチェックしてもらい、「誤字脱字」がないように、出来るなら内容も添削してもらうようにと伝えた。それが、人としての最低限の礼儀だからと。

我が子たちはインターナショナルスクールに通っていて、英国人の先生も多く、「after you文化」で育った。特にQueen‘s Englishで発音される「after you」が私たち3人のお気に入りで、一時期如何に「粋に」英国紳士っぽく「after you」が言えるかという練習?をし、「after youごっこ」が家で流行った。マンションの入り口も、家の玄関も、トイレや風呂も何でも「after you」。動作までつけて、しっかりと紳士になりきる。

外国人と話していると、お互いのバックグラウンドや文化・習慣が違うことを前提としていて、その違いを分かり合おうとする。日本人同士でもそうだったらいいのに、と良く思う。奥様会も駐妻ランチも習い事も、海外で不安な人にはありがたい場所なのだろうから、そう思う人たちで楽しめばいい。ただ、私は他にやりたいことがあると言うだけだ。

英語やA国の言葉で会話をするときは、相手を理解しよう、自分の考えをわかって欲しいと、一生懸命話をする。上手く伝わっていなければ、言葉を選びなおしたり、説明を加えたり。相手の言葉のニュアンスが正確に理解できているのか不安な時は確認することもしばしば。とにかく「一生懸命」なのだ。海外で出会った友達にいらぬ誤解を与えないように、勝手に誤解しないようにと必死なのである。

最初に日本語を窮屈に感じたのは、子供の頃にC国で過ごし日本に帰国した時だ。小学校5年生の2学期に帰国した後の、2者面談で母が学校の先生に「〇〇(私)さんはハッキリとモノを言いすぎる」と言われたらしい。そのとき私は母に言った。「直接私に言えばいいではないか」と。

「~だと思う」は、日本人ならおそらく誰でもよく使うフレーズだろう。別に何の違和感もないし、ごくごく当たり前の日常会話の述語だ。

翌日は快晴だった。たっぷりの睡眠とたっぷりの朝食を取った私たちはいそいそとビーチへと向かった。大人が私しかいないので、荷物は小さいリュックに入る水とタオルと少しのお金、そして浮き輪だけ。ホテルの目の前がビーチなので、何か必要になったら部屋に戻ればよい。

もう16年くらい前のことなので、詳細はうろ覚えだが、駅員さんか外国人旅行者がいないかと、立ち上がってキョロキョロとしている私に・・・

A国に住んでいたとき長期休みに南国へ旅行した。夫の急な海外出張先が南国で、仕事が終わったら合流できるとのことで、行き先をそこにした。長女5歳、次女2歳、15年以上前のことだ。

びっくりした学校での出来事。私は自分が海外に行っていた8年の間に日本の教育は様変わりしたのかと思った。もう時効だからいいよね。