残り物とあり合わせだけれども、栄養はバッチリなはず。私はスープだけで長女がペロリ。いつも思うが娘たちでこの食欲、男の子だったらどうなっていたのだろうと恐ろしくなる。

healthy, yummy, easy and gorgeous

残り物とあり合わせだけれども、栄養はバッチリなはず。私はスープだけで長女がペロリ。いつも思うが娘たちでこの食欲、男の子だったらどうなっていたのだろうと恐ろしくなる。

15年ぶりくらいに発熱した。発熱と言っても37.8℃くらいなので、高熱ではないのだが、37℃を超える熱を出すのが久しぶり過ぎて、結構しんどい。普段、頭が痛くなることもほとんどないので、顔周りが不快だ。

自分の居住地の自治体以外にもいくつかの自治体を調べたが、今回の期日前投票期間は7月4日(金)~19日(土)までのようである。その期間の中で、場所によって期間(期日)や時間帯は異なるのだが、上記期間内ならば、どこかしらで期日前投票ができるはずである。(所属する自治体のHPを必ず確認してほしい。)

日本の夏は酷暑だ。暑いだけではなく、湿度がとにかく高い。夜はコンクリートからの熱がまだ冷めておらず、走るなら早朝がベスト。そして、日陰以外で走りたくない。

少なくとも、今の土地に引っ越してきてから9年間使っている、某PB(プライベートブランド)の「国産丸大豆醬油」が、某スーパーの店頭から消えた。いつから消えたのかはわからないが、ストックがなくなったので買おうと思った3週間前くらいからない。

寒い冬のスポーツに欠かせないアイテムは、「ネックウォーマー」「手袋」「耳当て」の3つ。これがあれば、北風が強い日やみぞれや雪でも何とか耐えられる。私の冬の3種の神器だ。

首都圏は川を境にして自治体(区・市)を分けていることが多いので、川の両岸からはもちろんのこと、東西南北どの方向からも美しく見えるように工夫されているのが特徴だと思う。(多分)

しかしながら今年からは、今まで観ていた場所は有料(協賛席)となり、パイプ椅子が用意され、夫が事前にチケットを購入してくれた。

如何せんとにかく毎日暑い。自分の家も夫のところも、どこもかしこも暑い上に、8月からまた食品は値上げしたし、夏場の電気代は高い。「なるべく地球環境に良い暮らしを」と思っているので、出来る対策はとって、なるべく冷房には頼りたくない。

家庭用かき氷器ももう20年くらい前から「電動」が主流だと思うのだが、我が家は今もこれだ。壊れないのに買い替えられない。汗だくになりながら、この取っ手をクルクルと交代しながら回して氷を削って、かき氷を食べてひんやりする。

夏場は夕方・夜に走るのは諦めて、朝5時前後に仕方がなく起きる。そして6時前後に渋々走りに家を出る。走るのが大っ嫌いだった昔よりは、今はましだが、走ることは特に好きなわけではない。走らずに健康を保てたり、一人で気軽にリフレッシュ出来たり、体力が落ちないようにできたりしたら良いのだが、元手がかからずどこでも気軽にできる運動としてランニングは悪くない。

50歳を前にする頃から急激に痩せなくなった。サッカーはもちろんのこと、ランニングもエクササイズもストレッチも腹筋や体幹トレーニングも。何をしてもとにかく痩せない。痩せなくても良いのだが、体力や筋力が上がることもない。

「干からびそうだ」と言いながら、干からびる気配は全くない。こんなにも暑いのに、今朝も朝からしっかりと豚の生姜焼きを食べた。ベランダの辛くない唐辛子が五月雨式に収穫できるので、「せっかくの唐辛子を美味しく食べなきゃ」という名目で、厚めの豚ロースを唐辛子と一緒に焼いて食べた。しょうがもたっぷりと入れて。

「あの頃おかしかったな。普通ではない状態だったのだな。」と自覚したのは、そう言う考えが頭に浮かばなくなってからだ。今考えると、ちょっと怖い。子育て、仕事、これからの人生、色んなことを抱えて、考えて、どこかとても疲れていたのだと思う。

「頑張る」という言葉が嫌いなわけではないし、自分に対しては割と良く使う言葉だ。自己満足なのだろうが、「頑張っている自分」「一生懸命な自分」「挑戦する自分」は好きだ。でも、それと同時に「そういう自分」を自分の理想に掲げて、自分を追い詰めることは多い。自己実現をするために、満足感を得るために、「頑張る自分」を応援して「このくらいは出来なくては」と、気付かないうちに自分を追い詰める。だから、人に「頑張れ」という言葉を使う時は非常に慎重だ。その言葉を選ばないようにしている。

目的地の駅から300mほど進んだところで、私は「ここで折り返さないの?」と聞いたら、夫はシレっと「次の駅まで行く」と言う。そうそう、こういう人だった。理系の仕事をしているとは思えないほどアバウトなのだ。そして、次の瞬間「ここからトイレがないから大丈夫?」と聞く。

「田んぼと電車が一緒に見える絶景スポットがあるから」と夫が言う。8月最後の土曜日に行こうというのだ。その前に次女が夫の家の近くにある美術館が良いらしいと言っていて、「美術館でも行こうかな」と私が言っていたので、「美術館でも良いよ」と小さい声で付け足すように言う。そして、いかに田んぼと電車のコラボが素晴らしいか珍しく口数が多い。猛烈にプッシュしてくる。「別に美術館でもいいけれど」とボソッと付け足す。

全く痩せない。痩せるどころか、気を付けているつもりなのに、ちょっと気を緩めるとすぐ肉が付く。約1年前にも同じようなことを書いていて、色んな策を講じているのだが、2歩進んで2歩半は後退しているような。。。3歩は進んで欲しい。実際のところは一進一退。泣けてくる。

満月の前日、日が沈む直前、低いところに月があり、とても大きくきれいだった。植木に水やりをしようとベランダに出たとき、大きな月が目に飛び込んできた。手が届きそうなところにあった。

腰にベルトをして犬を繋いで、犬と一緒に走っている人がいた。私が走っていると別の道から出てきて私の前を走って行った。ランナーの女性はトライアスロンでもしているのかな?という感じの、がっしりとした人で足も速そうであった。

メインのラニングコースがいくつかある。夏になると日陰になるコースを選ぶので若干変わるのだが、朝ランニング以外は、ランニング後に寄るスーパーによってコースを決めることが多い。
その一番走っているコースの途中に枇杷の木がある。ここ数週間実がたわわで、「収穫しないのかな」「もったいないな」「でもかなり高い位置に実がなっているな」と思いながら、通り過ぎている。

3月から休校になり、友達にも会えず、次女は不貞腐れていた。不貞腐れていたので、部屋の中で彼女と一緒に、リコーダーのアンサンブルをしたり、スポンジテニスをしたり、トリコダンスを踊ったりした。

別に急いでいるわけでもないのだが、待つのが好きではない。特に大都会のスクランブル交差点はタイミングが悪いとやたら待つ。その待つ時間がもったいないように感じてしまうのだ。そのうち、家の近所だろうが、田舎だろうが、「青信号=走る」という方程式が脳と身体に染みついてしまったのだ。

美しい。颯爽と走る姿がとにかく美しい。かっこいいとかたくましいではなく「美しい」。手入れの行き届いたボディ、つぶらな瞳、そして走るフォーム、全てが美しい。

ここ7年以上髪は伸ばしていない。長い髪は結んでしまえば楽だったし、髪形を変えれば気分転換になるので、昔は割と好んで長い髪にしていた。だがこの7年ほど理由は色々とあるけれども、ずっと短い。髪を洗うのも乾かすのも楽だし。

要は「筋肉をつけて基礎代謝」を上げて行かないと、脂肪は増える一方なようだ。ということは、You Tube先生とのお付き合いはこの先ずっと続けなければならないらしい。何ということだ。

何であんなにこだわっていたのだろう。と、過去を振り返って頑張りすぎたり、固執しすぎたりした経験って誰しもあるのではないか。

身体は正直である。あなたではなく、身体は。

人生の岐路に立たされている。究極の選択を迫られている。このまま一生「浮き輪」とともに生きていくか。30年来の友を捨てるか。