久しぶりに往復はがきを見た。最後にいつ見たのかなんて、覚えていない。18歳で一人暮らしを始める前、実家にいるとき、父に届く「同窓会」の案内で往復はがきを見た記憶だろうか。
#大人
cocco20歳の誕生日
たまにしか帰ってこないと、色々と食べさせてあげたいと張り切る。そう言えば、うちの母もそうだったな。ワイワイとおいしそうに食べる娘たちの姿は、小さい頃から変わらない。それだけで、とても嬉しくなる。
茨城県産 X 兵庫県:山椒ちりめん
茨城県産の山椒の実と瀬戸内海のちりめんじゃこを合わせて、山椒ちりめんを作った。山椒とちりめんじゃこのバランスは好みだが、今回は「山椒」をメインに。私の座右の銘「山椒は小粒でもぴりりと辛い」の通り、ものすごくパンチのある一品。
18歳の門出 描く未来(後編)
人生は、人によって、フラットな道を好む人もいれば、この作者のようにピークを境に下り坂と考える人、ゆっくりと上向きに(または下向きに)なる人など様々だと思う。そして、私は「”人生のピーク“は自分次第で年齢に関係なく、”自分が作るもの“だ」と思っているタイプだ。昔からずっと。
18歳の門出 描く未来(前編)
次女のCoccoが言う。友達Oちゃんと話していたら、大学に行くのが憂鬱だというらしい。「えっ?なんで???」とびっくりした。大学生と言ったら、責任もドドーンと増すが、行動範囲も自由度も高校生に比べて格段に広がる。そして入学する前のワクワク感がある、一番いいときでは?と、何が「憂鬱」なのか分からない。
coccocanの由来
「cocco」は正式には?「こっこ」で、1歳半になった次女がある日突然自分のことを「こっこ」と呼び始めたのだ。ちょうどA国に行ったときで、彼女はA国に着いたときは39℃の熱でダウンしていたのだが(詳しくは「若さと可愛げの相関関係」で)、回復して間もなくのことだった、自分のことを「こっこ」と呼び出したのは。理由はわからない。3歳くらいになって本人に聞いてもわからない。まぁわかるわけないよね。
大事な日のアンパンマン ハンバーグ
こともあった。絵も簡単なので昔は色んなキャラクタを描いていたのだが、いざパーツを作ろうと思っても、上手く思い出せない。アンパンマンから離れて10年以上経つ。仕方がないので、ネットでアンパンマンを久しぶりに検索してみた。
不自由な日本語(後編)
外国人と話していると、お互いのバックグラウンドや文化・習慣が違うことを前提としていて、その違いを分かり合おうとする。日本人同士でもそうだったらいいのに、と良く思う。奥様会も駐妻ランチも習い事も、海外で不安な人にはありがたい場所なのだろうから、そう思う人たちで楽しめばいい。ただ、私は他にやりたいことがあると言うだけだ。
不自由な日本語(中編)
英語やA国の言葉で会話をするときは、相手を理解しよう、自分の考えをわかって欲しいと、一生懸命話をする。上手く伝わっていなければ、言葉を選びなおしたり、説明を加えたり。相手の言葉のニュアンスが正確に理解できているのか不安な時は確認することもしばしば。とにかく「一生懸命」なのだ。海外で出会った友達にいらぬ誤解を与えないように、勝手に誤解しないようにと必死なのである。
不自由な日本語(前編)
最初に日本語を窮屈に感じたのは、子供の頃にC国で過ごし日本に帰国した時だ。小学校5年生の2学期に帰国した後の、2者面談で母が学校の先生に「〇〇(私)さんはハッキリとモノを言いすぎる」と言われたらしい。そのとき私は母に言った。「直接私に言えばいいではないか」と。