就職して数年目、私がまだ独身の頃。独り暮らしの私が、どうして父と丸の内・銀座界隈で飲むことになったのか覚えていないのだが、仕事帰りに父の行きつけの丸の内の店で待ち合わせをした。

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就職して数年目、私がまだ独身の頃。独り暮らしの私が、どうして父と丸の内・銀座界隈で飲むことになったのか覚えていないのだが、仕事帰りに父の行きつけの丸の内の店で待ち合わせをした。

次女は小6の途中で10か月ほど夫の単身赴任先に転校し、そこの小学校で卒業を迎えた。次女が転校した理由はここでは割愛するが、かなり悩んで夫と二人暮らしさせたその土地は、当時のCoccoには最適で、結果論だが彼女も家族も良い方向に進むことが出来た。

全てがうろ覚えなのだが、私が小3の6月下旬だったと思う。真夜中に電話が鳴った。夜に鳴る電話は日本からに違いない。しかも夜中に鳴るのは「緊急」だからだと8歳の私ですらわかった。電話は祖母と同居している母の兄・叔父からだ。内容は「祖母が危篤である」だった。当時、祖母は59歳、母は33歳。

子供たちは「何でママの目の色が遺伝しなかったのか」と文句を言う。これは私の反省事項なのか?

小さい頃、私は父に「人にものを聞くときは、自分がどこまでわかっていて、何がわからないのか、要点をまとめて質問しなさい」と言われてきた。人に話を聞いてもらうときも同様、「要点を明確に分かりやすく、結論から話しなさい」と教えられた。