海外で暮らすということ

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私は小2~小5の途中まで父の転勤でC国のある都市に住んでいた。当時はまだその都市への直行便がなく、C国の海岸部の都市で乗り継ぎをしなければならなかった。正確な飛行時間は覚えていないが、経由便で16時間くらいかかったと思う。為替が1米ドル=220-250円という1980年代前半だ。

両親ともに銀行員だったこともあってか、この時に「為替」や「円高・円安」を覚えた。日本のサンリオ商品は海外でとても人気なのだが、円換算すると驚くような値段だったことを覚えている。だから、船便で祖母からの荷物が届くと無性に嬉しかった。

全てがうろ覚えなのだが、私が小3の6月下旬だったと思う。真夜中に電話が鳴った。夜に鳴る電話は日本からに違いない。しかも夜中に鳴るのは「緊急」だからだと8歳の私ですらわかった。電話は祖母と同居している母の兄・叔父からだ。内容は「祖母が危篤である」だった。当時、祖母は59歳、母は33歳。

子供の私に詳細は分からなかったし、確かめる意味もないので真相は今も分からないままだが、親族の危篤で一時帰国するにあたって、父の勤務先での手続きが必要で、そのため私たちは直ぐに帰国することが出来ず数日待たなければならなかった。

一刻も争う状況の中、母は心身ともに弱って行き、泣いてばかりいた。やっと飛び立てたのに不運は重なり、乗り換えの空港に着くと悪天候で予定していた便が飛ばない。英語が話せない母は途方に暮れ、姉と私で空港のカウンターで状況を確認し母に伝え、一番早く日本に着く他の便に乗せてもらえないか交渉した。

確か成田空港から国内線の飛行機に乗り換えて愛知県まで行く予定だったが、予定していた便で帰国できなかったので乗り継ぎが上手く行かず、成田空港から東京駅へむかって、新幹線に乗って名古屋駅に着いた。果てしなく長い旅だった。名古屋駅には祖母の兄弟である母の叔父が待っていた。母は叔父の顔を見て泣いた。「気丈」と言う言葉が最も似合わない人である。

photo of airplane wing
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メールもデジカメもSNSも携帯電話すらない時代。はがきや手紙で近況を報告するような時代。祖母の癌は見つかったとき既に末期で手術の施しようもなかったそうだ。遠くの異国に住む娘に心配かけたくないから黙っていてくれと周囲に言っていたらしい。若くして夫が病死し、嫁ぎ先で苦労した大正生まれの女性だ。

私は結婚後に2度海外で暮らしている。A国に住んでいたときはとても大切な親友の結婚式と子供の行事が重なってしまい、どうしても式に出席することが出来なかった。日本に住んでいたら、子供の行事が終わってから、2次会だけでも顔を出すことが出来たのに、、、そう、海外に住むとはそういうことだ。

「大切な誰かの大事な瞬間に立ち会えないかもしれない」それが海外で暮らすということだ。私は8歳のときにそれを知った。異国の地で住むのには、色んな覚悟がいる。そう思った。

a bullet train on railway station
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18件のコメント

  1. こんばんは(^^)
    長い時でひと月半ほどの海外出張でも何かあったら大変だなと思いながら仕事してましたが、住んでるともなるとそれなりの覚悟は必要だと思いますよ。現地に駐在してる方の苦労を数多く見てきたので良く分かります。
    色々と大変な事もあったでしょうが、CoccCanさんの長い海外生活経験が現在のCoccCanさんの人生の糧になってるんですね。

    1. 出張はほぼ確実に帰国日が決まっているとはいえ、やはりその間に何があるかわかりません。

      互いの覚悟は必要ですよね。
      どんなに技術が発達しても、どこでもドアはないので。

  2. 海外で暮らすというと、”かっこいい/素敵” そんなイメージですが、経験したことのない私たちが想像するのより何倍も大変ですよね。きっとイチイチ大変。CoccoCanさんの海外話を読ませて頂く時にいつも思うのが”タフだな”です。

    私はそれを頑張れる気がしないので旅人止まりです。なので安易に”いいなー”とか言いたくないのですが、ついつい言ってしまいます。

    1. 私も人様の海外赴任、いいなぁーって言います笑
      無い物ねだりですからねw

      1. CoocoCanさんはその大変さも知っているので、いいなーと言っていいと思います。

      2. いえいえ、ありがとうございます。
        wakasahs15thへのコメントにも書きましたが、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」を呼んだときは衝撃的でした。

  3. 海外駐在をする時は`親の死に目’に会えないのを覚悟でしたね。
    CoccCanさんのお母様もご苦労されたのですね。
    取引先の社長の告別式で‘長男がいないとは何事だ’と怒鳴っている親戚の方を見かけたことがありますが
    そのご長男の方は商社の中近東駐在との事でした。帰りたくても帰れないんですよね。
    CoccoCanさんは小学生の頃に既に為替を理解されてて凄いです(*^_^*)

    1. 「帰りたくても帰れない」本当に辛いです。

      国によっては、一時帰国するとビザの取り直しになり、仕事に支障が生じることもあるから、会社も慎重になると聞いたことがあります。

      息子さんが、不自由な土地で立派に働いていることを故人はわかっていらっしゃると願います。

      1. ビザの取り直しは時間と労力が大変ですよね。
        はい、故人は良く理解されていると思います。
        ご親族の方は詳しく分からないので、あのような暴言になったのでしょうね。

      2. 経験がないと想像するのが難しいこともあるでしょうし。

        私は「沈まぬ太陽」を読んでアフリカや中近東の駐在の過酷さを知りました。

  4. 海外で暮らすと言うことは大変でしたね
    特にこの様に緊急を要する時には
    CoccCanさんの子供の頃や結婚後の海外生活
    大変だったけれど心の糧にもなっているのではないでしようか
    夫も若いころ、「海外希望しょうか」と言う話もでましたが
    (希望で審査が通ればだったような気がしましたが?)
    結局は、色々考えた結果応募せず。。。3年間の任期だったかな
    民間の人達なら転勤命令が出たら海外でも行かなければならないのでしようね?

    1. 今は大分変わっていますが、異動を断るサラリーマンはなかなかいないですね。よほどの事情がない限り。

      さらに自分も含めて海外赴任はキャリアアップのチャンスだと思っているので、純粋に海外での仕事を希望する人もいます!

  5. 身につまされるおなはしです。私もいつこういうことがあるだろうか?と常々考えます。特に今、緊急事態がおこったとしても、帰国まではできても実家まで到達できそうにありません😢

    1. 現在まさに海外在中の方には酷な内容で、申し訳なかったのですが、コロナになってさらに実家までが遠くなりました。

      せめて早くコロナが終息して欲しいです。

      1. いえいえお気になさらず👍 コロナはそう簡単に終わらない感じだけれど、ちょっと下火になってほしいですね。

      2. 入院中の見舞いや、ホームへの面会も許されない時代になっています。もはやコロナは「海外・遠距離」の問題ではなくなっているので、本当に下火になって欲しいです。

        ご主人様がいらっしゃるので安心かと存じますが、異国の地で外国人が住むことが一筋縄でいかないことは変わりがないと思います。

        nikonikomaisonさんの投稿、これからも楽しみにしています!!

      3. ありがとうございます、ちょっとうるうるしてしまいました😢

      4. 健康でいられるように、出来ることをやっていきたいと思います☆

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